Dark night of the soul Secret path to the Light

祈りなき国 ② ヘイトクライム
2016-08-10 Wed 11:09

植松悟容疑者の心理と行動には、まだ未解明な点が多いが、
彼が、「障害者などいなくなればいい」と考え、
障害者の安楽死を望む、弱者抹殺論者であり、
この事件が、時代の殺伐とした空気、
弱者を排除し、共生を拒む、社会の悪意が生んだ、
明らかなヘイトクライム、テロリズムであることは間違いないだろう。

植松容疑者のネット行動や、関心の対象の分析から、
彼が極右政治家や、ヘイトを吐き散らす文化人らの言説、
あるいは世界規模のテロリズムや、右傾化、排外主義に影響されて、
特定の属性を持つ人々への差別と排斥、「生きるに値しない命」なら、
死なせるのが社会のためという、「ヒトラーの思想」を持つまでに
至ったのではないかと見る向きもあるが、私は逆ではないかと思う。

ナチスの優生思想にも似た、危険な考えを抱き始めた植村容疑者が、
差別と抹殺の過激思想が、世を席巻するあり様に、心を強くしてゆき、
自分は間違っていないと、身勝手な自信を得てしまったのではないか。

ヘイトとは、その対象がなんであれ、物騒な暴言のみに留まらない。
その悲惨な結果は、ドイツやルワンダで、歴史が証明しているが、
この国では、巷に流行する、悪口雑言罵詈讒謗に負けず劣らず、
大物政治家や著名文化人らも、率先して憎悪と差別を扇動する。

障害者のみならず、在日や生活保護受給者、年金受給者、ホームレス、
高齢者、女性、同性愛者などの、少数者や弱者がターゲットにされ、
その生きる権利を否定するような暴論妄説が、たびたび繰り返される。、
しかも大衆は、彼らに耳を傾け、喝采を送り、批判する人々を嘲笑する。

障害者殺傷事件から、わずか数日後に行われた、東京都知事選では、
ヘイト言論を象徴する人物、桜井誠が11万票を集めて5位となった。
無法都市ではなく次期オリンピック開催都市に、ジェノサイドを唱える
レイシズムの支持者が11万も存在する現実は、到底無視できない。
そして許しがたいことに、相模原の事件にも賛同する人間もいるのだ。

人の心の中には差別意識や排除の論理、弱者への嗜虐心が存在する。
それは誰もが抱える弱さであるが、そんなとき人が心に感じるのは、
疚しさや自責の念、罪や恥の疼きである。良心の咎めがあればこそ、
おのれの過ちに気づき、心を入れ替えて、軌道修正ができるのだ。
植村悟にしても、なんの痛みも感じない、機械ではないはずだ。

だがいまの日本社会には、そうした人間性を「感情論」として貶め、
愚弄し、排除しながら、善を根こそぎ腐らせる空気が蔓延している。

人が生まれながらにして持つ良心と、命の尊厳、基本的人権、
成長過程で身に付ける、自己を律する倫理と品位、社会のルール、
言動への責任、人間関係の基である道徳と、他者への思いやりなど、
普遍的な人間性を、自分の甘えに溶かして、相対化してしまう風潮だ。

世の中には大勢の人々がいて、それぞれに異なる立場や考えがあり、
物事には多様な側面があるので、正邪善悪は視点と尺度の違いに過ぎず、
オレ様が正しいと思えば正しく、どんな方法を使って成し遂げても、
それなりの正義であり、オレ的には間違っていないのだと考える、
粗暴で幼稚なエゴが、政治から学問、芸術や科学まで、腐食させている。

そうした時代だからこそ、白昼堂々、公道でヘイトデモが罷り通る。
ある民族の殺戮を煽動しても、罪ではなく、狂人の妄想でもなく、
言論の自由であり、ひとつの主張として許容され、公権力に守られ、
本屋にも書籍が並び、一定層に広く支持されても、異常とは思われない。

植松容疑者がこれらの言論や風潮に、実際に触れていたかどうかは
明らかではないが、倫理的歯止めを完全に失った社会のなかで、
彼の障害者を見る眼は、次第に変わっていったのかもしれない。

慶應大学の岡原正幸教授は、事件を、
日本で行われた、大規模なヘイトクライムであると捉え、
その背景には、異なる立場や考えを認めようとしない、
非寛容な社会の風潮があることを指摘している。

一方、日本障害者協議会の藤井克徳氏は、容疑者の
表層的言動をもって、ヘイトクライムトとしてのみ扱うことには慎重で、
日本における福祉分野の、さまざまな遅れや特殊性などを踏まえて、
一面的にではなく、構造的に見てゆくべきであると述べている。

作家の平野啓一郎氏は、事件の政治性について言及している。

「相模原の卑劣な事件は、
 自分の行為が、「公益」にかなっていると信じている点で、
 かつての池田小の事件とも異なっている。
 世間の「本音」を体現していると考えるだけでなく、
 現政権から「評価」されることを期待している。
 この事件は、陰に陽に同様の思想を語ってきた
 政治家たちに直結している」


今年2月、植松聖が衆議院議長公邸を訪れて、手渡した手紙には、
障害者の安楽死を訴える持論とともに、事件の具体的な犯行予告、
また、誰が読んでも誤解のない犯行動機が、詳しく記されており、
手紙内容を、安倍首相に取り次いでくれるよう願っている。

これについて、あるブロガーが鋭い指摘をしていた。

はたして容疑者は、民主党政権の
菅首相や鳩山首相に対しても、おなじ訴えができたであろうか?
そんなことは、とても無理だったのではないかと。同感である。
たとえ鳩山・菅の両氏が、「無能政治家」だったとしても、
少なくともこの二氏は、ヘイト言論を増長させる社会の空気を
生み出したり、利用するような政治家ではなかったからである。

おそらく鳩山氏や菅氏なら、至極当然の責務として、
日程を変更して「津久井やまゆり園」を訪ね、犠牲者に献花し、
自らの言葉で、哀悼と非難と決意の声明を発したのではないか。
だが海外の首脳や高官が、相次いで弔意を伝えるなかで、
安倍首相は、戦後最悪の大量殺人にも、
IS の犯行でなければ、関心は低いようだ。

ロシアのプーチン大統領は、事件の本質を次のように的確に表した。
「無防備な障害者を狙って実行された犯罪の残忍さに動揺している」。
アメリカのケリー国務長官も、「(事件は)一種のテロだ」と非難し、
「われわれの思いは日本の人たちとともにある」と述べた。

だが、わが国の首相には、それらに呼応する言葉と想いがない。

凄惨な犯行の直後に、植松容疑者がツイッターに投稿した文章は、
「世界が平和になりますように。Beautiful Japan!!!!!!」であった。
その心性は、「大義」に殉じたテロリストの狂信に近いだろう。

取り返しのつかない事件の原因を、容疑者個人の資質に閉じ込め、
異常な人格による異常な犯罪として、切断処理することは許されまい。
これは明らかに、政治的・思想的な信念に基づく、犯行だからである
植松聖にとって障害者殺害は、日本と世界への貢献だったのだ。

さらに酷い側面を言えば、植松容疑者もまた、
この社会では負け組に属する、弱者の一員であったことだ。
にもかかわらず、強者の邪悪で危険な思想を信奉してしまい、
彼が本来守るべき、最も弱い者たちを、社会から排除すべく、
淡々と犯罪を決行したあとで、世界と日本に胸を張ったことだ。

いま日本国は、安倍首相のもとで、
「戦後民主主義」と決別し、新しい国づくりに励んでいる。
憎みてもあまりある「日本国憲法」の廃絶を目指して、
70年の長きにわたって、社会を支えてきた価値観である、
人権思想が総否定される、大変動期なのである。

さらに日本だけではなく、全地球規模の富の偏在や、貧富の格差、
そこから発生するテロリズムや、社会の混迷も、直接関わってくる。

事件を受けて、政府が取った対応は、
障害者の人権擁護でもなく、ヘイトクライムへの非難でもなく、
他の事件と特に変わらない、真相解明と再発防止に過ぎなかった。

ひとりの青年を、豹変させてしまったものが、なんであろうと、
相模原事件は、東日本大震災と東電原発事故を経て、
日本人がたどりついた、憎悪と偏見が支える政治の時代に、
「起こるべくして起こった事件」として見るのが正しいと思う。

これからは、植松容疑者が望むような人間観が、主流になってゆき、
弱者・少数者は息を殺して、「生かしていただく」ことになるのか。

日本人がそれでもいいと思うなら、そうなってゆくしかないだろう。


(つづく)


【ヘイトクライムとは】
ヘイトクライム(憎悪犯罪)とは、一般的な「憎しみ」とは異なり、
歴史的、社会的背景に基づいた、社会における弱者・少数者に対する
偏見や憎悪から引き起こされる、特定の属性や集団、個人に対する
差別や排除、攻撃的言動、暴行傷害などの犯罪行為のことである。
したがって、沖縄の基地反対派による言動は「米軍ヘイト」ではなく、
反自民勢力による政権批判も、「安倍ヘイト」とは呼ばれない。





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