Dark night of the soul Secret path to the Light

祈りなき国 ①
2016-08-09 Tue 17:28

思い出すのもつらい、相模原市の福祉施設で、
多数の障害者が次々に殺傷された事件。
世の中からはやくも、記憶が薄れてゆくいまも、
ますます心が塞がれ、重苦しく痛ましい。

19人が殺害され、27名が重軽傷を負った。
犯罪の凶悪さと被害の規模は、戦後最悪である。

だがそれと同じくらい憂うべきことは、この事件に対する、
日本社会の怒りと悲しみが、おどろくほど希薄なことだ。
天皇の生前退位や英国のEU離脱のほうが、よほど重要と見える。

おぞましさ、嫌な感じ、とまどい、気分の悪さなら、誰もが感じる。
だがそれも、その後に続く都知事選やオリンピック、イチロー、原爆忌、
天皇「玉音放送」、終戦記念日、夏祭りやお盆などの喧騒のなかで、
次第に薄れてゆき、苦い澱を残して、この夏も過ぎてゆくだろう。

事件の夜、ふだんは見ないテレビをつけてみた。
しかし「天皇陛下のお気持」のように、NHKが時間枠を延長して
事件を取り上げることもなく、他のニュースと同列に扱われていた。
報道ステーションでは、アナウンサーが犯人の忌まわしい手紙を、
淡々と読み上げる声に背筋がぞっとして、即座にテレビを消した。

いまのこのとき、障害者とその家族が、また福祉に携わる方々が、
胸の張り裂ける想いに、どれほど必死で堪えていることだろうか。
こうした報道は、細心の配慮をもって行わなければ、裏目に出るのに、
あろうことかテレビが、犯人の主義主張を、電波で拡散しているのだ。
警備や防犯体制への批判でお茶を濁す、“識者”らにも失望した。

外国人記者は、「日本人は、なぜ怒らないんだ」と驚くそうだが、
その答えは人それぞれだろう。あまりのことに、どう受け止め、
どう考え、どう語っていいのか、分からないという人もいるが、
たいていは、「自分には関係ない」と思い込んでいるからである。
だがそれは、人として、あまりにも酷薄な心情ではないだろうか。

海外で同種の事件が起きれば、国民は犠牲者を悼んで喪に服す。
公共機関は半旗を掲げ、商店は営業を自粛し、イベントは中止される。

最近だけでも、ドイツ・ミュンヘンでの銃撃事件(7月22日)、
フランス・ニースでのトラックテロ事件(7月14日)、
バングラディシュ・ダッカでの襲撃事件(7月1日)などで、
多くの命が失われたが、いずでの国も1~3日間の喪に服している。

当事国でなくとも世界各地で、心ある人々による追悼行事が行われる。

韓国では7月29日、障碍者の団体がソウル市庁舎の前に、
やまゆり園の犠牲者19名の、顔なき遺影が置かれた祭壇を設け、
隣国の不幸をともに悼み、訪れた人々が深く頭を垂れていた。

服喪の期間とは、犠牲者に哀悼の祈りを捧げ、残された遺族を慰め、
悲しみと痛みを分かち合いながら、自己を取り戻す時間である。

衝撃、悲嘆、憤怒、苦痛、堪え難さ、喪失感、罪悪感、無力感・・・
度し難い人間感情に、わが身をゆだね、ともに涙を分かつことで、
自暴自棄の誤った衝動を克服し、人間と人生への信頼を回復し、
ふたたび明日へと踏み出すための、共同体の治癒と再生でもある。

黒が表す死の喪失への沈痛、暗闇の懊悩こそが、希望の燭台となる。
そうやって人間は、巨大な悲劇と喪失を乗り越えて生きてゆくのだ。
世界のどの文化どの民族にも、喪の期間あるのはそのためである。

だがこの日本には、国としての追悼、共同体としての祈りがない。
それは日本国が、この事件に痛みを覚えないという意味でもある。
今回の事件では、犠牲者の顔と名前の発表さえも、行われなかった。

神奈川県警が、犠牲者の氏名を公表しなかった理由は、
障害者や家族への、差別や偏見に繋がるからであるという。
配慮ではあるが、殺されてなおも隔絶される、その現実は酷い。

事件で家族を奪われた女性の言葉が、胸に突き刺さる。

「この国には、優生思想的な風潮が根強くあり、
 すべての命は、存在するだけで価値があるということが
 当たり前ではないので、とても公表することはできません」

「今はただ、静かに冥福を祈りたいです。
 事件の加害者と同じ思想を持つ人間が、
 どれだけ潜んでいるのだろうと考えると怖くなります」


これ以上に重たい、そして厳しい言葉はないだろう。

(つづく)


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