Dark night of the soul Secret path to the Light

時空を超える記憶
2015-07-09 Thu 18:09

梅雨空の下、沙羅の花咲く、藤戸寺の庭に、
哀切きわまりない詩吟が、時を超えてこだまする。

藤戸の潮流、鉄馬翔(ひるがえ)り
平家を追討して喚声揚ぐ
何ぞ此の地 漁夫の恨みを留むとは
憐れみ聞く梵鐘 余韻長し


聞く者の心には、この地に伝わる、800年の物語が甦り、
永劫に刻まれた悲しみに、今年もまた、涙せずにはいられない。

なつつばき


毎年、夏至の季節には、なにかしら気分の高揚を覚えるのは、なぜだろうか?
胸が高鳴るとか、心が弾むといった感覚ではないが、すがすがしい朝の
山気を深呼吸しながら、細胞や血液までが、入れ替わるような新鮮さだ。
天体の運行が、わが身と心に直接作用する、神秘的な節気のひとつでもある。

日本では、midsummerの白夜を、味わうことは叶わないが、
どんよりと雲の重なる、雨季のさなかにも、時おりおとずれる、
どこまでも濃くて深い、レイリー散乱は、まさに季節の天辺の煌めきだ。

紫色や濃桃色の、そう、紫陽花の彩りに変化する、ながい黄昏が、
鏡のように水を張った田んぼに、ゆらめいて映える夕辺のひととき、
鴨の親子が水田を泳ぎ、足元の水路から、アマサギが飛立つ。
いつまでも続く、薄明の空の下のあぜ道を、老犬をつれて散歩しながら、
やがて東に七夕星を仰ぎ、西にジュピターとヴィーナスの邂逅を望む。

きんもくせい


一年も半ばの過ぎたころ、私の暮らしには3つの楽しみがある。

ひとつは夏至のころ、倉敷の古刹、藤戸寺で行われる「沙羅の花を見る会」。
そのむかし、源平合戦の「藤戸の戦い」の、古戦場であったこの地で、
寺の庭に咲く「沙羅の花」(=夏ツバキ)に、故事を偲ぶ催しだ。

ふたつ目は、7月に入り、岡山の後楽園で行われる「観蓮節」。
早朝、園内の大名蓮や、大賀蓮の花がひらくころ、茶席が設けられる。
今年はどちらの蓮も、やや花が小さくて、少なかったような気もするが。

三つ目は、「輪くぐり様」とよばれる、氏神様のお祭りで、
半年間の罪穢れを払うとされる、「夏越の祓」の神事だ。
大きな茅の輪を、「蘇民将来」と唱えながら、三度くぐる風習がある。

はすいけ


季節の伝統行事など、若いころはそっぽを向き、遠ざかっていたが、
半世紀を前にした今では、毎年いそいそと、心待ちにしている具合だ。
否応なくも人生の折り返し点を過ぎ、老いと死が視野に入るようになった、
40代を過しながら、自身の生覚が、確実に変わってきたのを感じる。

なかでも決定的なのは、「時間」というものの、感じ方だと思う。
「時間」とは、時計の針が刻む、数字で計量し、表示できる単位であるよりも、
それとは異なるうねりと、深みと、重みをもつ、出来事の質量ではないのか?
そんなことを、しきりに思うようになってしまった。

若いころは、ただもう前だけを見つめて、我武者羅に突っ走ったものだ。
悩みも迷いも振り切り、妨害を撥ね退け、過ぎ去ったことは省みず、
「未来」こそが、夢と希望の叶えられる、約束の地だと信じていた。
時は金なり。分刻み秒刻みの正確さ。日程は絶対で、納期は容赦しない。
しかしそんな虚しい生き方も、「2011年3月11日」までだった。

いまはもう違う。あの日から今日までに、私はずいぶん変わってしまった。
世界そのものが、様変わりして、私も一気に、歳を重ねてしまったから。
人生の半分以上が、過去となってしまったいま、一心に望むことは、
これ以上、愚行を重ねては生きないこと。後世への責任を果たすことだ。

過去という因子を、心を尽くして省みることで、このころようやく、
時間とは、不可逆に進行し、物事は、ただ過ぎゆけばオシマイではなく、
天体の公転と自転がもたらす、季節のように循環し、昼夜のように反復して、
万物の盛衰を司る、逃れえぬ因果として、実感できるようになった。
人の一生も、誕生から死へと、一直線に進むように見えながら、
さらに大きな、生命のサイクルの一部に違いないのだ。

そして人生には、計測も管理もできない、もうひとつの「時」がある。
無為と忙殺の日を送るのではなく、個を超えた力の作用によって、
人生を一変させる出来事を経験させられた、途方もなく重たい時間は、
やがて、歴史に刻まれた記憶となって、時空を超えて再現される。

そうして人は、灼けつくような「永劫」に触れて、
いにしえ人と向き合い、時を超えて対峙し、心を通わせるのだ。
ここで先述の、藤戸に伝わる故事について、書いて見たい。

現在の倉敷市の南部地域は、近世に入るまで、遠浅の海だった。
市内には、浜、津、江、瀬、洲、浦、崎、島などの、地名が多いが、
倉敷川が、低い丘に挟まれて流れる藤戸一帯は、かつての海峡として、
海上の要衝でもあり、周囲の小山は、瀬戸内海の島々だった。

1184年(寿永3年)12月、この海は、源平の戦いの舞台となった。
馬で海流を乗り越え、先陣を切って、源氏方を勝利に導いた武将
佐々木盛綱の活躍の陰には、多くの血が流されて、海を朱に染めた。

なかでも悲惨だったのは、この浦の若い漁夫とその母親である。
佐々木盛綱は、海に詳しい「浦の男」に、対岸に渡る浅瀬を聞き出したが、
口封じのために刃に掛け、討ち棄てた。亡骸は、経ケ島に流れ着いた。
母親は、盛綱の酷い仕打ちを恨み、「佐々木と言えば、笹まで憎い」と、
生えている笹という笹を、すべて毟り取りながら、狂い死んだといわれる。
その地はいまも、「笹無山」として伝わる。

のちに世阿弥は、謡曲『藤戸』で、この漁民の母子の悲劇をあつかい、
盛綱にすがりつき、わが子を惨殺した、非道をなじる母親の情念や、
それを悔いる盛綱、法要に現れた漁夫の亡霊が、祟りを及ぼさんとするが、
手厚い供養に成仏して、波間に消えてゆく様子を、幽玄に描いた。

「沙羅の花を見る会」では、地元の人々によって、詩が吟じられた。

高坪(たかつぼ)の巒丘(らんきゅう)、源氏の兵
範頼(のりより)長征 児島の頻(ひん)
平家の陣営 海に依って適(かな)い
行盛(ゆきもり)水軍を擁して 猶匀(か)なう
半夜一人 漁夫を招ず
粒浦の深浅 秘めて津(しん)を聞かん
浜に生まれ 舟を操り 流水を覚(し)る
月の頭(かしら)瀬は東 末は西へ巡ると
夜に紛れ漕ぎ出(い)ず 川瀬の導(しるべ)
三途の瀬踏(せぶみ) 夕月の民
暁天 鞭を揮(ふる)って 先陣を斬る
暇逸(かいつ)の一門 赤旒泯(せきりゅうほろぶ)
軍馬海を渡る 竹帛(ちくはく)の功
勝利の恩賞 因縁の神(ふしぎ)
老いの波越えて 藤戸の明暮れに
我が子不憫と妄執の親
酷列酸然(こくれつさんぜん)浮洲岩
策と云えども、氷刀悔恨の臣
盛綱橋辺 桜花の塚
哀魂今も祀らん 経島の春


「笹無山」には、鈍色の雲が降りて、小雨をそそいでいた。
母親の鬼気迫る心情を、いまなお天地が憶えて、涙するかのように。

実際の史実が、どれほど凄惨なものであったかは、想像を絶するが、
琵琶法師も、能の舞い手も、名も無き母子を蹂躙した、戦への怨念を、
世代を超えて、くりかえし語り続け、演じ続けて、芸能へと昇華した。

藤戸の人々は、やがて海が干拓され、陸地になって、姿を消しても、
笹無山や経ケ島、浮州岩にまつわる故事を忘れず、史跡を守ってきた。
この地の源平合戦は、「兵どもが夢のあと」ではなく、刃の残忍と錯乱、
怨恨と慙愧、供養と諦念の物語として、語り継がれてゆくだろう。

そのことを、そんな大昔の話が、ワタシらに何の関係があるわけ?、
もう終わったことじゃんなどと、愚かしく問うたり、訝る者はいないだろう。
いつの世も変わらぬ、戦の非情さと民草の呻きが、万人の胸を打つからだ。
そして世界はいまも、無数の「浦の男」と、嘆きの母を作り続けている。

それでも、どんな時代にも、どんな国や民族の、山奥や海辺にも、
およそ戦のあるところ、理不尽に蹂躙された、小さき者たちを悼み、
弔い、祀って、花を手向けながら、低い声でつぶやく人々がいた。
その繰言の輪に紡がれて、物語は生まれ、育まれ、時を超えてゆく。
その営為こそが、死に至る傷口に命の種を播く、文化の力ともなる。

アジア太平洋2000万の命を奪った、十五年戦争もまた、
中国の奥地に、半島の寒村に、南アジアの密林に、
太平洋の島々に、数限りない、怨恨と悲憤の種を播いてきた。
そのために死せる者の呻き声と、なおも生ける者の嘆き声は、
それぞれの民の、言葉や楽器によって、舞や劇や絵画によって、
世代の波間で、新たな深みを増しながら、受け継がれてゆくだろう。

歴史の改竄や民族憎悪の、浅ましい戯言など及びもつかぬ
時空の一部が、ザクリとえぐられた、血の滲んだ、民の記憶だけが残る。
もし私たちが、千年後の地球に転生して、アジアの地に暮らすならば、
その時こそ、これら大小無数の先祖の物語を、血肉として生きるだろう。

ユネスコの世界遺産に登録された、「明治日本の産業革命遺産」は、
安倍首相には、「坂の上の雲」の世界であり、近代日本の栄光の展示物だ。
これに、正当な異議を唱えた隣国には、口汚い罵倒が浴びせられている。

だが日本人は、本来そのような、道理をわきまえぬ衆愚ではない。
小さき者たち、滅びた者たち、虐げられた人々、物言えぬ人々への、
温かい思いやりと、差別なきまなざじを忘れず、すすんで助け、
理不尽に抗い、真実を曲げず、権力を、そして死をも怖れない、
犬侍ではなく、民の誇りと覚悟を持っていたはずだ。

熊本県荒尾市の正法寺、赤星住職の活動を紹介したい。
参照⇒光強ければ影も濃い~歴史の多面性を伝える世界遺産に

ひとつの真理がある。
『播いた種は、刈り取らなければならない』

平家は滅び、源氏も滅び、豊臣も滅び、大日本帝国も滅びた。
そしていま、戦後日本は70年目にして、最大の危殆に瀕している。
なにごとにも、それに至る筋道があり、大元の原因がある。
わたしたちは、これまで何を驕り、どこを過ってきたのか?
もし道を開きたければ、越し方を振り返って見よ。

真の希望とは、可能性としてよりも、覚悟の問題である。

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