Dark night of the soul Secret path to the Light

宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を読む①
2015-05-28 Thu 12:04

ひとつぶの涙

この地上に ひとりでも飢えている人がいる限り
わたしたちの食事は どこか楽しくはないでしょう
この地上に ひとりでも失業している人がいる限り
わたしたちの労働は どこか気が重いことでしょう

ひとつぶの麦を ひとつぶの汗を、
ひとつぶの怒りを ひとつぶの涙を

この地上に ひとりでも差別されている人がいる限り
わたしたちの遊びは どこか楽しくないでしょう
この地上に ひとりでも戦争で死ぬ人がいる限り
わたしたちの生活は どこか後ろめたいことでしょう

ひとつぶの麦を ひとつぶの汗を
ひとつぶの怒りを ひとつぶの涙を



『ひとつぶの涙』にたゆたいながら、ぼんやりと、
『世界がぜんたい幸福にならないうちは、
 個人の幸福はあり得ない』

という宮沢賢治の言葉を、思いうかべていました。

この歌の心が、まさに世界の痛みを、わが身に覚える、
"copassion"(共に受難を引き受けること)だったからです。
人はなぜ、ときに不幸に襲われ、理不尽に押しつぶされ、
さまざまな苦悩や悲嘆を免れず、絶望や罪障に苛まれるのか?

それはいまだに、世界全体が幸福ではないからです。

この世界のどこかに、不幸な人がひとりでもいる限り、
わたしたちも、幸福ではありえない、幸福にはなりえない。
人間とはそういうもの。そんなふうにできているからです。

そのことは、宮沢賢治のように、深い宗教心を抱きながらも、
内的世界に逃避・安住することなく、現実社会の改革に奔走し、
困難にぶつかりながら、志半ばで死んでいった人間には、
あまりにも自明のことだったと思われます。

「衆生病むを以ての故にわれ病む」(維摩居士)


『銀河鉄道の夜』には、“ほんとうのさいわい”を求める魂の、
息詰まる葛藤の涙が、きらめく静謐さをもって描かれています。


漁から戻らない父親と、病気の母親を持ち、寝る暇もなく働きながら、
学校ではいじめられ、工場でもからかわれる、貧しい少年ジョバンニと、
その友達で、金持ちの息子のカムパネルラは、「銀河鉄道」に乗り合わせて、
海難事故の犠牲者である、姉弟らと知り合い、天の川を旅します。

「わたしたちはもう、なんにも悲しいことはないのです。
 わたしたちはこんなにいいとこを旅して、 
 じきに神さまのところへ行きます。そこはもう
 ほんとうに明るくて、匂いがよくて、立派な人たちでいっぱいです」。


天国に向かうために、サウザンクロスの駅で、
姉と弟は、銀河鉄道を下車しなければなりません。
しかしそれを嫌がる弟は、思いあまって叫びます。

「天上へなんか行かなくたって、いいじゃないか。
僕たちここで、天上よりももっといいところを、
こさえなきゃいけないって、僕の先生が云ったよ」。
「だっておっ母さんも行っていらっしゃるし、それに神さまも仰るんだわ」
「そんな神さま、うその神さまだい」。


突然に命を断たれた、幼い子供です。
神さまと母親の待つ天国が、どんなにいい所であっても、
それでもやっぱり、もっともっと生きたかった。

しかも、生きて自分が為したかったのは、
あれがしたい、これも欲しい、どこへ行きたい、
なにが食べたい、だれが好き、どうなりたいという、
あふれんばかりの夢や、欲求の実現ではありません。

「僕たちここで、天上よりも
 もっといいところを、こさえなきゃいけない」。


生きている場所で、より高い理想の世界を、築いてゆくことだったのです。

それでも姉と弟は、否応なく神さまのもとに召されてゆき、
あとに残された、ジョバンニとカムパネルラには、
ひとつの深い問いが、投げかけられます。

ジョバンニは、ああと深く息をしました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
 どこまでもどこまでも、一緒に行こう。
 僕はもう、あの蠍のように、ほんとうにみんなの幸のためならば、
 僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない」。
「うん、僕だってそうだ」。
カムパネルラの眼には、きれいな涙がうかんでいました。
「けれども、ほんとうのさいわいは、一体なんだろう」
ジョバンニが云いました。
「僕、わからない」。
カムパネルラが、ぼんやりと云いました。
「僕たち、しっかりやろうねえ」。
ジョバンニは胸いっぱいに、新しい力が湧くというように、
ふうと息をしながらいいました。


けれども、銀河に黒々と空いた闇の穴、「石炭袋」にさえ
自分は、すすんで飛び込んでゆけるのだろうか・・・
振り返ってみると、カムパネルラの姿がありません。

驚いて眼を覚ますと、ジョバンニは疲れ果て、
丘に寝転んだまま、夢を見て泣いてたのでした。
大急ぎで、母親の待つ家に向かいながら、
大人たちの慌しい様子で、子供が川に落ちたことを知ります。

それは、カムパネルラでした。
銀河のお祭りの夜、川流しの舟遊びで、
カムパネルラは、いじめっ子が川に転落したのを、
飛び込んで助けたのですが、自身は流されて死んだのでした。

みんなもじっと川を見ていました。
だれも一言も物をいう人もありませんでした。
ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。
魚をとるときの、アセチレンランプがたくさん
せわしく行ったり来たりして、黒い川の水は、
ちらちら小さな波をたてて、流れているのが見えるのでした。
下流のほうの川はばいっぱいに、銀河が大きく写って、
まるで水のない、そのままのそらのように見えました。
ジョバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしか
いないというような気がしてしかたなかったのです。



(つづきます)



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