Dark night of the soul Secret path to the Light

はじめてのクリスマス・・・マリアとヨセフの物語
2014-12-25 Thu 12:07

真夜中に、東の空に現れる、ひときわ明るい星は、
太陽系最大の惑星・木星。クリスマスの季節に、
「ベツレヘムの星」のような輝きで、冬の夜空を暖めます。

日の脚が南の遠のき、心細いほど低く、短くなってゆき、
太陽が天の真底に、いちばん近づく冬至。
北極圏では、太陽の昇らぬ、昼と夜が続きます。
この闇の支配する夜に、太陽は死んで、新たに復活します。

月にもおなじく、 死と再生のプロセスがあります。
老いたる月が、その姿を消して、ふたたび若く甦る、
神秘的な三日間の、まんなかの日が、「新月(朔)」です。

今年は、この古来より神聖な天体のサイクルが、
12月22日のうちに重なる、 「朔旦冬至」と呼ばれる、
19年に1度の、めずらしい現象に遭遇しました。

クリスマス(Christmas)は、「キリストのミサ」という意味。
聖なる降誕祭として、世界中でお祝いされますが、
しかしこの日は、キリストの、実際の誕生日ではありません。

もともと、太陽のよみがえりを祝った、ローマ時代の異教の、
冬至のお祭りに由来するものであり、ツリーのモミの木も、
冬でも葉を枯らさない、生命力の象徴である
北欧の樹木信仰に、その起源をもちます。
そしてキリストが、死後3日目に甦ったという信仰も、
月の死と復活になぞらえて、解釈されました。





聖書に記された、天使による受胎告知、マリアの処女懐胎、
婚約者ヨセフの苦悩、東方の博士たちを導く不思議な星。
故郷への旅の途中、ベツレヘムの馬小屋で生まれたイエス、
天使と羊飼いたちの祝福、「救い主」を殺そうとする王の軍勢、
エジプトに逃れる聖家族といった、おなじみのクリスマス物語です。

しかしキリスト教の伝統信仰や、教義の枠組みを取り外して、
クリスマスの出来事の意味を、説き明かしてゆくと、そこには、
マリアとヨセフという若い夫婦、そして生まれてくるイエスという、
紀元前のユダヤ社会に生きた、貧しい家族の姿があります。
当時の結婚年齢からいえば、二人はまだ10代だったようです。

マリアの処女懐胎は、キリスト教の、信仰箇条のひとつですが、
現実的に見れば、イエスはまぎれもなく、私生児であったはずです。
おそらく母親のマリアが、征服者でもあるローマ兵から暴行されて、
妊娠した子供ではなかったかという見方は、昔からありました。

この当時の社会では、女性は、男性の所有物・財であって、
純潔や貞操を犯された女は、生きる価値のないものと見做されました。
たとえ、無理やり強姦されても、並べて「姦通」として断罪され、
「傷物」となった体を、強姦男に引き取ってもらい、結婚できなければ、
ユダヤの律法では、「石打ち」による処刑が、待っていました。

「石打ち」とは、現代でも一部地域で行なわれる、公的な処刑方法です。
下半身を生き埋めにして、大勢の人々が周囲から、こぶし大から頭ほどある石を
一定間隔で投げながら、すぐに死なせず、時間をかけて殺してゆく刑罰ですが、
実際に死亡するまでは、3日間くらい掛かるとのことです。(ウィキベディア等参照)

他にも、「名誉殺人」という制裁があります。これは、たとえ強姦されても、
貞操を失うことで、家名を汚した女性を、親族の男性が殺害する習慣です。
夫に逆らった、結婚を拒絶した、恋人と結婚したなども、正当な理由になります。
殺害方法は家族会議で決定され、火あぶりや絞殺、自殺の強要などがあり、
母親も責めを受けて、殺される場合もありますが、一方の父親ら、男たちは、
不名誉な女など、殺されて当然だと胸を張り、警察も逮捕どころか、賞賛します。

あるいは、殺害までには至らなくとも、女性の耳や鼻を削ぎ落としたり、
顔に酸を浴びせるなどの虐待も、主にイスラム圏では、平然と行われています。
女子教育の必要性を訴えた、パキスタンのマララ・ユスフザイは、
過激派勢力に銃撃されましたが、もし強度の酸を浴びせられていたら、
皮膚は焼け爛れ、眼球は潰れて飛び出し、どんな顔になっていたでしょうか?

これらの習慣は、国連や人権団体から非難にも拘わらず、改まる気配はありません。
「女性の人権」などというものは、「欧米の価値観」に過ぎないからです。

現代では突出して、イスラムの特異性が、問題にされがちですが、
しかし、女性の人格が否定されるのは、洋の東西や宗教を問わず、
程度の差はあれ、父権制が守り続けてきた、伝統的な価値観です。
女の役割とは、家事用の妻、子産み用の母、性処理用の娼婦・慰安婦です。
夫の家系存続のために、できるだけ多くの男児を生むことが、第一の務めです。
歴史を通して、女性とは愛情ではなく使役の対象、家族よりも家畜の扱いでした。

日本でも、皇位後継者の男児を、産めなかったというだけの理由で、
心の病に追い込まれた妃を、週刊誌がなおも罵倒し続け、その娘まで誹謗して、
その夫の地位さえ剥奪しようとするのも、これと同種類にある思考です。

旧日本軍の慰安婦にされた、朝鮮の女性は、地獄の戦場から生き延びて、
帰国する船の上から、光復した祖国を目の前にして、海に身を投げました。
儒教倫理の厳しい祖国では、兵たちに犯され、汚された女の身上などは、
家族でさえも汚物のように忌み嫌い、生きてゆく場所などないからです。


教会倉敷
クリスマス礼拝の夜。


キリストの生涯を描いた、『ナザレのイエス』という映画には、
妊娠したマリアと縁を切ろうとした、婚約者のヨセフが、
夢のなかで、お腹の大きいマリアが男たちに取り囲まれて、
四方八方から大小の石つぶてを、容赦なく浴びせられる様を、
まざまざと見せつけられて、うなされる場面がありました。

ヨセフの立場ならば、婚約中に、他人の子供を妊娠したような女などは、
すぐにも法に引き渡し、石で打ち殺すのが、共同体の正しい規範です。
ヨセフ自身も、そうした価値観を、疑いもなく身につけていたはずですし、
マリアとは親が決めた結婚であり、特別な愛情があるわけでもありません。
周囲は、もちろんマリアを、「汚れた姦淫の女」として、蔑んでいたので、
ヨセフの一族も、あんな女は殺してしまえと、迫ったはずです。

にもかかわらず、この若者はあろうことか、
マリアとその子を、掟どおり殺すべきか、迎え入れるべきか、
ユダヤ共同体の規範か、それとも、マリアとその子の命かという、
だれも経験したことのない、良心の葛藤を抱いてしまうのです。

結局ヨセフが選んだのは、不幸なマリアと、父親も知れないイエスでした。
それは、なんとかなるさという、前向きで楽天的なお気楽思考ではなく、
降りかかるすべての差別と困難を、すすんで引き受ける、命懸けの覚悟でした。


ノエル
カトリック教会の「降誕劇」模型


ヨセフは故郷の街に戻っても、一族はおろか、宿からも追い出され、
身重のマリアは、不潔な馬小屋での、出産を余儀なくされます。
そのあとの数年間は、エジプトに逃れて過ごしましたが、これは、
「救い主(新しい王)」の出現におびえる、ユダヤの王の迫害よりも、
彼ら一家の生存を脅かす差別から、避難を余儀なくされたからです。

帰国したのち一家は、ガリラヤ地方の、ナザレという街に引き篭もり、
ヨセフは賤業である「石切り」となり、イエスもその仕事を継ぎますが、
ここでも、イエスは「ヨセフの子」ではなく、「マリアの子」と呼ばれます。

人が、父親の姓や名前をつけて呼ばれるのは、「胎は借り物」だからで、
父権制の行われた古代社会では、母親は、本当の親とはみなされず、
ただ父親の精子を預かり、胎児を育てるための容器にすぎませんでした。
母親の名前をつけて呼ばれるのは、「おまえは姦淫の子」という意味でした。

しかし、ヨセフの決断は、歴史に奇跡をもたらしました。

貧しく若い夫婦に、しかも、最大の侮辱を受けた女性の身体に、
おのれ自身の存在を、胎児という姿で託された、神の深慮。
犯された身体を恥じることなく、神を信じて、わが子を産もうとする女性と。
共同体の規範よりも、弱き者たちの命を貴び、慈しみ、守り抜いた男性。
そして、ふたりがもたらした、世界で最初のクリスマス。

イエスは、もっとも貧しく、弱く、賤しむべき子供として、生まれました。
しかしそれこそ、世の悲惨に対する、真の希望と勝利でした。

純潔
ユリはマリアに捧げられた花。ヨセフとの縁を結んだとも言われる。


いのちの始まりには、しばしば女性への残忍な暴力が伴います。
にもかかわらず、一方的に責められ、虐げられるのは、女性と子供です。
これはおそらく、地上から人類が終焉するまで続けられる蛮行でしょう。

しかし、絶望のさなかにあってもなお、どんないのちをも慈しみ、敬い、
どんな子供たちも、神の贈り物であることに気づいて、現実に挑む男女はいるのです。

聖書では、大天使がマリアを訪ね、神の子の懐妊を告げたとか、
苦悩するヨセフの夢にも現れて、マリアを迎えるように命じたとか、
宗教的な意味合いでの解釈が、荘厳に施されていますが、
私はここに、人間本来の愛のあり方とは、虐げられた者たちへの、
痛みをともなう、compassion(共苦)であるほかはありえないという、
注意深く隠された、力強いメッセージを、心に留めたいと思います。


クリスマスツリー星団
An infrared Spitzer Space Telescope image of NGC 2264
Credit: SIRTF/NASA/ESA.

クリスマスツリー星団(いっかくじゅう座。約2400光年)
冬の天の川のなかで輝く、双眼鏡でも見える星団(NGC2264)です。







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