Dark night of the soul Secret path to the Light

「河野談話」の検証・・・・・手で海を掻き分ける、絶望的な無意味の果て
2014-06-25 Wed 01:29

安倍政権は20日、「河野談話」に関する「検証作業」の結果を、発表した。
韓国紙はこれを、「手で海を掻き分けるようなもの」だと評した。

どういう意味なのだろうか?それは結論にまわそう。

さて、いまさら驚くほどの「新事実」が、発掘されたわけではない。
よく知られ、よく言われてきた、相変わらずの結論に、導かれただけだ。

すなわち、「河野談話」を蛇蝎のごとく忌み嫌う、安倍氏とその周辺が、
これを国として否定、破棄することは困難であるため、「検証」と称して、
作成過程の手順や、ゴマ粒のごとき言葉尻まで捕えて、あら捜しをしてみたが、
日韓両政府で、表現の調整が行われたことに、不正が発見されたわけでもなく、
そんなことで、「河野談話」を骨抜きにできると思ったら、大間違いである。

それどころではない。もう「珍民族列島」などと、笑ってはいられない。
安倍首相の強情な姿勢は、取り返しのつかない段階に、至りつつある。

まず、「河野談話」を、事実上否定することで、日本国の尊厳を傷つけた。
さらに外交慣例を破って、日韓の間で交わされた、調整や対話の過程を、
日本が一方的に公開したことで、両国間に残されていた信頼を、根本から壊した。
しかも国内向けの、周到な印象操作によって、多くの日本人の頭の中に、
「河野談話」とは、事実無根の創作文という誤った思い込みを、刷り込んでしまった。

なんということだ。
安倍氏が播いた毒麦はやがて、国民が刈り取らねばならない時が来る。


「河野談話」とはなにか?なぜ重要なのか?

1993年8月、当時の宮沢内閣で発表された、
「従軍慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話河野談話」は、
およそ、次のような内容を持っている。(吉見義明著『従軍慰安婦』を参照)

① 従軍慰安婦制度の設立と、運営・管理には、軍や官憲の関与があり、
② 慰安婦の徴集や現場での使役に、「強制性」があったことを認め、
③ これらが重大な人権侵害であることを、日本政府が認めて、
  お詫びと反省の気持を伝えるというものである。

「談」という文字は、漫談、雑談、冗談、談話室などと使うように、
一般的に「談話」とは、仲間同士で、くつろいだ話をするような、意味があるが、
ここでは、政府などの責任ある立場の人が、形式張らずに発表する意見のことだ。
「河野談話」は、英語ではKono Statement と呼ばれ、
終戦50年目の95年に発表された、村山富市元首相の「村山談話」は、
Statement by Prime Minister Tomiichi Murayama と呼ばれる。

つまり政府の「談話」とは、冗談ではなく、国としての基本的な見解や方針を、
国内外に向けて、公式に表明したものとして、その内容は短くても重たい。
嫌になった人間が、簡単にもみ消したり、掃いて棄てたりできるような、
軽々しい文言ではなく、日本国民と国際社会に対する、信義に関わるものだ。

なかでも「河野談話」は、国際社会に、高く評価される内容を持っており、
発表されて以来、20年余間に渡って(・・・その間、国内では著しい右傾化と、
歴史修正主義の嵐が席巻するのだが)、歴代政権が、「河野談話」を守るという
姿勢を堅持してきたことで、日本は国家の尊厳と、国際社会からの理解と信頼を、
今日まで保って来られたのである。この重たい事実を忘れてはならない。


これに対して、今回の「談話」の、「検証結果」を利用した攻撃は、
とくに目新しくもない、従来の右派の主張の、シンプルな繰り返しである。

「談話」の作成過程に、日韓政府間の調整があったという、形式を問題視して、
「河野談話」が、元慰安婦の証言の裏づけも、「強制連行」の有無も確認されないまま、
韓国の要求に日本が妥協して合作した虚構であるかのように、喧伝すること。

なかでも最大級にこだわり続ける、慰安婦の「強制連行」の有無については、   
「河野談話が起点となり、日本が慰安婦を強制連行したかのような誤解が
世界中に広がっている」(読売新聞)、「ありもしない日本の軍や警察による、
『強制連行』の論拠として利用されてきた」(産経新聞)などとして、
「河野談話」の、一方的な破棄・撤回を含む、見直しを要求していること。

あるいは、1965年の「日韓協定」と、95年に創設された「アジア女性基金」で、
日本は賠償も含めた責任を果したにも関わらず、当初はこれに理解を示していた韓国が、
途中で態度を変えて、しつこく日本政府に対し、公式の謝罪や賠償を求め、
過去に拘泥し続ける態度が、日韓関係を悪化させたとする、責任転嫁などである。
(元慰安婦の70%は、「アジア女性基金」の受け取りを拒否している)

こんなことを言い続けて、自分の首を絞め上げていることに、気がつかないのか? 
なぜ日本人には、「河野談話」がこれまで果たしてきた、重要な役割と、
その歴史的価値が、理解できないのであろうか?

談話作成への詳細な過程を、公開して見せたのなら、そこにはむしろ、
慰安婦問題が、のちのち日韓関係を不安定化させる、「棘」とならぬように、
両国が、精一杯努力してふり絞った、智恵の「結晶」が、見えてはこないだろうか。
それは日本国の品位であり、東アジアの未来を開く鍵でもあった。

米紙NYTも、今回の「談話検証」は、日本に悪影響を及ぼすものだと論じたが、
「国家間の関係で、特に敏感な事案については協議は必須であり
対話が否定的に見なされるのは誤りだ」と指摘している。談話作成時に、
韓国との調整があったことを、問題にすること自体が、おかしな話なのだ。


ここで日本人の誤解について、ふたつの点を指摘しておきたい。

まず慰安婦問題において、かならず蒸し返される、いわゆる「強制連行」の有無だが、
これを集中的に問題化しているのは、日本の右派・歴史修正主義者だけである。
「強制」の問題は重要なので、なにが「強制」かもふくめて、あとで見てゆきたい。

またこの慰安婦問題は、とかく日韓問題のように矮小化されがちだが、
被害者は、朝鮮半島出身者が最も多いものの、他にも台湾人、中国人、東南アジアや
太平洋諸島の人々など、日本が侵略・植民地化した、広範な地域に及んでいる。
韓国以外の被害者の声も、疎かにしないで、真相を解明してゆくべきである。


ここから「強制」の意味について、少しばかり見てゆきたい。

国際的な人権基準では、慰安婦の徴集時に、軍や官憲による暴力的な「強制連行」や、
その命令文書の有る無しなどは、問題ですらなく、慰安婦への人権侵害とはまず、
軍慰安所での、日本兵の「性的強要」を、彼女たちが拒否できなかった点にある。

すなわち慰安婦たちが、つねに性暴力に曝される状況に、置かれていたことだ。
そうした慰安所の設立から運用、慰安婦の動員、管理にいたるまでが、
軍の関与のもとで、制度的、組織的に行われたことが、「戦時性奴隷制度」である。
このようなシステムは、旧日本軍独自のものであることが、明らかになっている。

一般の夫婦間でさえ、DVが犯罪として認識されるまで、夫から妻への「性の強要」は、
とくに問題にもされなかったほど、女性の身体と性の権利は、軽んじられてきた。
まして性的業務に就かされた女性が、仕事を拒否できないなら、それは奴隷状態である。
性奉仕をさせられる慰安婦は、その存在自体が、「強制」の事実を意味する。

日本の右派は、「強制」の意味を、「軍や官憲による暴力的な強制連行」に限定して、
そんなことを命じた文書は確認されていない、ゆえに事実無根であるという
国際的には通用しない理屈を、すでに20余年にわたって、繰り返しているが、
日本の「ガラパゴス化」とは、この認識の隔たりから来る孤立を指す。

慰安婦を集める過程の、「強制動員」については、もっとも多かったのは、
甘言や強圧によるものだが、吉見義明教授は、次のように説明している。

「甘言は刑法で言えば‘誘拐’、強圧は‘略取’に該当」し、全て人身売買であること。
「軍の施設である慰安所に、女性たちが到着すれば、軍がチェックし」ていた。
もし誘拐や略取によって、連れて来られた事実があるなら、分かるはずである。
「その場合、日本軍が業者を人身売買犯として逮捕し、被害者である女性を、 
故郷へ送り返さなければならないが、そのような例は一件もない。
結局、慰安所は軍の施設であるから軍は誘拐、略取という犯罪の主犯、
業者は従犯になる。 国家の法的責任を避けようとしても避けられない」。
(「」内は、韓国紙「ハンギョレ新聞」の、インタビュー記事6月26日より引用)

だから、もういちど書いて置く。
慰安婦問題の本質は、徴集時に、軍や官憲が、民家へ押し入り、そこの娘を
引き立てるように連れて行った、暴力的な「強制連行」が、有ったか無かったではない。
軍の施設である慰安所で、慰安婦に対する日本兵による、「性の強要」が繰り返されたこと。
すなわち「軍人がそうと意識しないで輪姦するという、女性に対する暴力の組織化」である。

たとえ万一、草の根分けて探し出した資料のなかに、「強制連行」を命じた公文書が
見つかったとしても、鬼の首を取ったわけではなく、この問題は揺るがないのである。
だが残念なことに、慰安婦の側に立つ日本人でさえ、この点をあまり理解しておらず、
「強制連行」に関する資料を、突きつけさえすれば、右派は黙ると思い込んでいるようだ。


一方では右派の主張にも、一理ある部分には、耳を傾けるべきである。
日本が韓国で、「慰安婦狩り」をしたという誤解が、韓国社会にあるのは事実だ。
これは吉田清治という日本人の、告白証言に基づいたもので、日韓の調査により、
今では虚構であることが分かっているが、強い反発を受けるのは当然だろう。
また長く、慰安婦と「挺身隊」が同じものであるかにように、誤解されてもいた。

日本の名誉を損ねる、誤った認識を改めさせるのは、当然の義務だろう。
しかしそれらをもって、慰安婦問題のすべてを虚構として覆すことは、とてもできない。
従軍慰安婦に関しては、両国ともに、誤解されていることが多すぎるのだ。
挙句の果てに激昂し、罵倒し、排外主義に走るとは、あまりにも不幸ではないか。

なぜ、過去の悲しい出来事を、充分に冷静な、そして暖かい目で見つめ、
双方の誤解を解きながら、ともに乗り越えてゆくことが、できないのだろうか?
いやそれは、かならず出来ることであり、しなければならないことでもある。
事実をありのままにではなく、偏狭なナショナリズムの眼鏡を通して見るから、
焦点が暈(ぼ)かされてしまい、瑣末の問題に捕われて、不毛に争うことになる。


ここで、実際に慰安婦に接した、旧日本兵による証言を、ふたつ紹介したい。

もうこれが最後だと思ったし、ここまで来て女も買わずに死んでしまうのも
勿体ないということで、その前には絶対にそんなことはしなかったのですが、
44年10月初めて慰安所にいきました。最初に慰安婦を見たときには、
「汚らわしい」と思った。当時は軍が慰安所を作ったなんてことをはぜんぜん、
私の認識にはありませんからね。彼らが勝手に金儲けのために、
ここまで出てきて、体を売って商売しているんだろうとしか思っていませんでした。
・・・・・・・・・・
そのうちに、親しくなった慰安婦の方から、「身の上話を聞いてください」いうことになった。
その人は朝鮮から来た人でした。うちは貧しい生活を強いられていたのだけれども、
せめて看護婦にでもなったら、家に仕送りができると思って申し込んだら、途端に、
こういう所へぶちこまれてしまった、と、涙ながらに話すわけです。それで、
「班長さん、この歌教えるから覚えてくれ」と言って、ひじょうに哀愁を帯びた、
悲しい朝鮮の民謡を私に聞かせるわけです。・・・(その歌は)今でも忘れませんよ。
(鈴木良雄氏。岩波書店『世界』1997年7月、加害の証言より)

――ところで、憲兵の人は慰安婦のことをよく知っているといいますが、
   富錦ではどうだったんですか?
あったですね、講堂みたいな大きな部屋をアンペラで仕切って、中に通路を作って。
そんな作りだから、隣の話し声が全部聞こえる。かわいそうなのは、病気で
もうとても耐えられないという人がいたのですよ。あまりにかわいそうで、
「あんた休ませてもらったらええのに」と言うたことがあったけど、
4、5日したら、亡くなっていました。
――それはどこの女性ですか。
朝鮮人です。朝鮮人が多かったですね。
(陰地茂一氏。岩波書店『世界』1997年7月、加害の証言より)


さらに痛ましく、むごたらしい体験もあるが、それはここには記さない。


従軍慰安婦問題とは、日韓問題や歴史認識よりも前に、女性の人権問題として見るべきだ。
性暴力の被害に遭った女性を、社会はどのように扱うかという、問いかけでもある。

大阪の橋下市長のような、「従軍慰安婦は必要だった」「沖縄の米兵には、
風俗を利用してもらいたい」という発言は、男女の性を、人間相互の愛や信頼ではなく、
生理的便宜としての、排泄と便器の関係のように、見做していることが伺われる。
おなじように、旧日本兵が、慰安所に通うことを、悪びれもせずに、
観光バスのトイレ休憩にたとえて、説明している証言も、読んだことがある。

「婦」という文字は、ふつう成人女性、既婚女性、おばさんを意味するが、
慰安婦にされた女性の多くは、まだ未成年の、10代の少女たちであった。
その子どもたちに対して、一日に何十人もの日本兵による、性の強要が行われた。
平時に、そんな事件が起これば、誰もが怒り、犯人らを絶対に許さないだろう。

戦争中の出来事を、いまの道徳や価値基準で裁くなという、声もあるようだが、
これは日本が当時加入していた、国際条約にも違反するもので、反論の余地はない。
安倍首相や橋下市長らによって繰り返される、慰安婦問題への無理解と非常識に対して、
日本の戦争責任資料センターが、2013年6月9日に発表した、
「日本軍『慰安婦』に関する声明」から、一部を引用(黄文字部分)しておく。

当時、こうした女性への人権侵害は、国際法によっても禁じられ、日本は締約国としてそれらの条約に加入していた。「婦人・児童の売買禁止に関する国際諸条約」(1910~1921)と総称されるこうした条約は、「詐欺により、または暴行、脅迫、権力乱用その他一切の強制手段」をもって、女性を性的業務に就かせることを禁止していた。「慰安婦」にされた女性たちの中には、相当高い比率で未成年の少女たちがいたが、未成年の場合は、たとえ「本人の承諾を得たるときといえども」それを「犯罪」として明記していた。さらに、これらの「犯罪」が起こらないよう、日本を含む各締約国は予防をはかり、もし「罪を犯す者」があれば「捜索しかつこれを処罰する」ことを約束している。これらの諸条約は今も消滅しておらず、日本国とこの社会を拘束している「生きた法規」であることを忘れてはならない。「慰安婦」制度は、当時も今も犯罪である。公的立場にある者が、日本国民が性的犯罪を容認しているかのように放言することは、国際社会のみならず、国民全体に対する侮辱というほかない。

また軍の慰安婦は、当時の公娼制度における、売春婦であるとする意見にも、
明確な反論がなされている。むしろ道徳においては、戦前のほうが優れていたようだ。

戦前の日本にあった公娼制度は事実上の奴隷制度であった。公娼とされた女性たちに居住の自由はなかった。廃業の自由と外出の自由は法令上認められていたが、その事実は当人に知らされず、また行使しようとしても妨害を受けた。裁判を起すことができた場合も、前借金を返さなければならないという判決を受けて廃業できず、その苦界から脱出することができなかった。こうした公娼制度に対して、「人身売買と自由拘束の二大罪悪を内容とする事実上の性奴隷制なり」「人道に反し正義に悖りたる悪制度」と厳しく批判し、公娼制廃止を求める県会決議は22 県で採択され、公娼制を廃止した県も15 県に上っていた。国際社会からも批判を受けて内務省警保局は1935 年には公娼制廃止案を提案するようになっていた。1930 年代において公娼制は当たり前ではなくなりつつあった。したがって「慰安婦」は公娼と同じだから問題ないというような議論は、女性の人権が認められていなかった戦前期における政治家に比べても、人権意識が著しく欠如していると言わざるを得ない。

慰安婦が売春婦(公娼)だとしたら、問題は霧散するとでも、思っていたのだろうか?
「売春」とは「買春」でもあり、責任を問われるのは、むしろ「買春する側」にある。
性売買とは人身売買である。 管理売春、自由売春を問わず、実質的に、
現代でも売春婦の多くが、人権侵害を伴う「性奴隷」の状態に、置かれている。

ほとんど知られていないことだが、日本は、世界有数の「人身売買大国」である。
アメリカ国務省の「人身取引年次報告書」でも、カンボジアや南アフリカとおなじレベルで、
「人身取引根絶の最低基準を満たさない国」に位置づけられており、先進国では最低だ。
アジアの国々などからの、性売買の目的地や中継地であることも指摘されるが、
犯罪意識も低く、法整備が遅れ、なによりも、加害者に寛容な文化が問題とされる。
このことは、国連からも何度も勧告を受け、対処が求められているのである。

ある人々は、こうした自国の惨状には目を閉ざし、韓国には売春婦が多く、
海外まで遠征にでかけるような、「売春大国」であることを強調しているが、
では女性が、身を売って生きる社会とは何を意味するか、理解できているのか?
売春婦とは、極端な経済格差と、男尊女卑の社会構造が生み出した、底辺の女性である。
「売春」とはすなわち、そこに女性への暴力と、性搾取が存在することを意味する。

この辺りを意に介さないのは、日本の右派も左派も、同じようなものである。
従軍慰安婦問題と、現代の性売買に共通する問題性を見抜けない、視力の弱さは、
「強制性」の意味を、「強制連行」のみに限定するような、視野の狭さにも繋がる。
女性の人権を、声高に擁護することを、女性でさえ嫌うというのは、悲しいことだ。


さらに日本は、北朝鮮による拉致問題を抱えている。これを語るときに、
日本人拉致を命じた、公的な命令書が確認できないので、拉致は存在しなかった。
「拉致被害者」と言われる男女は、自ら進んで、あるいは合意の上で、
日本を棄てて、北朝鮮に入国したのであるなどと、だれが言うだろうか?
彼らの語る生々しい証言を、確実な裏付けがなければ、信用しないだろうか?

北朝鮮が、「拉致問題は解決した」と言い張っても、日本人は信じない。
金正日が拉致を認め、謝罪をしたが、再検証の結果、これらを一方的に破棄して、
拉致問題は日本のでっちあげた、「拉致被害者」らは、嘘つきであると言い出したら、
赦せないはずである。慰安婦問題も、立場を変えて、同じように考えてみてほしい。

もし日本がこれと同じくらい、おかしな態度を取るとしたら、どうなのか?
いまは、安倍氏らが前面に出ているため、より非常識な言動が目立つのだが、
もちろん彼らの態度や主張は、日本国の本来あるべき、正統な姿ではないし、
決して日本国民の、想いや意思の代弁でもないことは、しっかり憶えておきたい。

あるのは日韓や左右の対立ではなく、歴史修正主義という反知性に対する、
日本と韓国、そしてアジアの、知性と良心の戦いだからである。

「河野談話」は、日本の良心である。


冒頭でご紹介した、「手で海を掻き分けるようなもの」という言葉は、
なにも安倍氏らの今回の振る舞いを、皮肉って言ったものではない。

「海」とはなんだろうか?
それは、慰安婦被害女性たちの、証言のことである。
その低いつぶやきの、無数の記憶の、連なりと重なりと広がりのことである。

歴史とは、目に見える文献記録や映像記録、物的証拠だけで、構成されるものではない。
そんなものが残されていないところにも存在する、生き証人の記憶も、また重要なのだ。

私は、来日した元慰安婦の女性の証言を、直接聞いたときの衝撃を、今も忘れない。
人間の威厳、存在と言葉の重みとは、かくあるべきものなのかと、圧倒されたからだ。

これら多くの被害者・加害者らの、血を吐く証言を、裏づけがないからと全否定し、
それに加えて、ある民族全体を侮辱し、嘘つき呼ばわりするのであれば、
それこそ「手で海を掻き分けるような」、絶望的で無意味な、自滅を招くだけだろう。

生者の記憶を抹消させ、歴史を書き換えられると、思ってはならない。
「河野談話」を、軽んじるべきではない。

むしろ「河野談話」の、曖昧な表現や不十分な言及などを、見直して改め、
過去20年間にわたる、国際的な研究の膨大な成果を踏まえて、これぞ決定版ともいえる、
ヴァイツゼッカー氏の『荒野の40年』にも劣らない、未来を開く、アジアの歴史宣言を、
日韓共同で発表できることを、そんな日が訪れることを願っている。

日本国は、アジアの記憶の海にその身を洗われながら、堅実な未来を育むのか。
それともこのまま、貧困と絶望と核汚染にまみれ、1%の者のために、戦争を始めるのか。



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