Dark night of the soul Secret path to the Light

虹の夜  Pulse Unbreakable
2016-06-16 Thu 23:29

憎しみを憎しみで返すだけなら、
敵の力を倍増させるだけだ。
だが愛するなど、ゆるすなど、
到底できそうもない。
臆病者よ、
偽善者よ、
説教はもうたくさんだ。

正しさとあきらめの錯綜する、
みずからの重力に歪んだ視界が、
銃と爆弾ではなく、毒を盛る多様性の、
分別くさい寛容さと、無数の言い訳が、
非対称の関心と言及ではなく、
盲人の手を引く、盲人たちの教義が、
洞窟で瞑想する静謐のひとを、
とつぜん、魔境に陥れてしまったのか。
闇を否認するものが近づくとき、
正気は、狂気をもって身を守る。

真理が得られるならば、
宇宙のもっとも遠い星までも、
探しにゆきたい。
無限の力を得られるならば、
どんな険しい山巓にでも、
攀じ登ってつかみたい。

天の海原は堅牢な、無明の虚空ではなく、
星明りが船となり、縁起に導いてくれる。
それはいまここで、わたしが手ににぎる、
風の街路にゆらめく、蝋燭のひとつ。

気高い闇よ、
死者たちをいだけ。
夜の理性よ、
生ける霊魂を慰めよ。

孤絶して、涙さえも涸れた、
あまたの瞳にも、
とおい明日の涯には、
虹の色が映えるように。
わたしたちの心に翻る、
誇りたかい旗が、
破られない心臓の鼓動として、
いつでもどこでも脈打つように。


 *     *     *     *     *   


このたびの犠牲者が、だれであれ、なんであれ、
キャンドルを手に集う人々が、だれであれ、なんであれ、
ひとりひとりがこれからも。ともに歌い、ともに夢を抱く
わたしの姉妹であり、兄弟であり、家族だ。



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6月12日未明、米フロリダ州オーランドのナイトクラブで、
男が客に向かって銃を乱射し、死傷者は100名を越えたという。 

襲撃されたナイトクラブ「パルス」は、LGBTの交流施設でもあり、
だれもが歓迎され、安心感を得られる“サンクチュアリ”ともよばれる。

ゲイであることを家族に告げ、AIDSで死亡した弟を持つ姉が、
彼を記念し、その心臓の鼓動(pulse)を伝える思いで、設立したという。
この地域のLGBTコミュニティを、広く認知させるためでもあり、
ナイトクラブの他にも、教育プログラムが実施されているとのことだ。

一方で射殺された容疑者は、アフガニスタン系のイスラム教徒で、
事件当初はISへの忠誠が報じられたが、つながりは不明とされる。
(イスラムに背くとされる)同性愛を、嫌悪していたとも伝えられるが、
その他の情報もいくつか出てきて、いろんな憶測が流れているようだ。

もし、アメリカ人でイスラム教徒でもある彼自身が、同性愛者でもあり、
家族と宗教、ホモフォビアとイスラモフォビアの間で、
何重もの抑圧と葛藤を内面に抱え、自己否定の末に行き場を失い、
最後に辿りついた過激思想に刺激され犯罪に走り、殺害されたのなら、
この事件は、世界にとってどれほど痛ましく、癒しがたい裂傷だろうか。

事件を受けて、アメリカでは銃規制に関する議論が高まっているが、
銃の惨劇に、「つくづく日本に生まれたよかった」と感じるのは、
たしかに素直な気持かもしれない。だが、現実にはどうなのか。

ある男が犯罪と社会ついて、得意そうに喋っていた。
(銃の)引き金を引いても、タマが入っていなければ、人は死なない。
大切なのは、銃を奪うことではなく、タマを抜くことだと。
彼はいったい、何が言いたかったのか? 

実際に人を殺しさえしなければ、相手が死んだりさえしなければ、
殺意を抱くことや、殺しの真似ごとくらいは、なんの問題もない。
もし誰か死んだとしても、悪いのは、銃を発砲した犯人だけではなく、
弾の入った銃でもあるのだから、そんな危険物が放置されているのを
知っていたのに対応もせず、身を守るのを怠った側にも落ち度がある。

つまり最大の社会的寛容に伴う、自己責任の貫徹を説いているのだ。
このネオリベラルで、野蛮なシステムから、逃れられる人間はいない。

銃規制は、実際の犯罪抑止には、もっとも有効な手段のひとつだろう。
だが、本当の問題は銃ではない。殺意と憎悪、差別と孤絶なのだ。
日本に関していえば、銃のない社会でよかったあと安堵するのは、
イスラム教徒がいなくて、LGBTもいなくてよかったと思うのと、
たとえ無意識であろうと通底する、排除の感覚である。

その通りで、この事件に関して、イスラム教徒もLGBTも、
日常から最も遠い存在で済んでいる日本人の言説は、
かなり歯切れが悪く、トンチンカンなものが多かった。

たとえばリベラルな人たちが、銃撃事件の直接の被害者である、
LGBTの人々よりも、イスラム教徒に向けられる差別や偏見に、
ことさらに気を遣うってしまう、特有の心理とはなにか?
人権尊重、差別反対の「普遍的価値観」ゆえにか、
イスラモフォビアの裏返しか、過激思想への共鳴か、
それとも、欧米への歪んだルサンチマンのせいだろうか?

あるいは昨年、パリのテロの時には、
イラクやシリアでの連日の空爆、他の地域のテロの死者などは、
少しも報道もされていないと不満を鳴らし、欧米ばかり重要視する
この「非対称性」はなんだと、激高していた人々はどこへいったのか。

オーランド事件では、初期の関心の中心だったISのテロやイスラムが、
どうやらキーワードでも、直接の原因でもないらしいと見られた途端、
潮が引くように背を向けて、それ以上の言及をやめて沈黙スルーし、
何事もなかったかのように、すんなりと日常に戻っていったが、
それこそ非対称どころではない、公然たる「差別」というものだろう。

だがそれが、一方ではいま、
憲法を守れと最前線で声を挙げる人々にも重なるという事実。
それを、どう考えればいいのだろうか?

ネットで知り合った、何人かのLGBTの知人たちが、
蚊の鳴くような低い声で、死者への追慕をつぶやいていた。
人知れず、殺害の衝撃と無関心の重圧に耐えていた。
だがこの人たちは、その多くがいまだ見えない存在なのだ。

オーランドの銃の悲劇は、一般メディアが撒き散らした
「やっぱイスラムこわ~」「殺されたのホモだって」という、
曖昧で雑駁な偏見を、日本人の脳にさらに刷りこんだだけで
すでに誰からも、忘れさられてしまった様子だ。
(それどころではない。参院選のほうが大事なのだ)

だが本当に、LGBTの人々も、イスラム教徒も、
わたしたちの身近にはいないのか。
ほんとうは、見たくないだけではないのか。

差別を受ける者は、無力な被害者である限り、充分に同情される。
だがいったん、みずからの権利と尊厳のために声を挙げると、
それまでの味方から、手の平を返したように、叩きのめされる。

それでも想像してみてほしい。
もし子どもたちが将来、イスラム教徒を生涯の伴侶に選んだり、、
LGBTのいずれかであることを、家族に告げたとしたら・・・

その時わたしたちは、かれらを頭から否定し、追い出すのか、
説教したり、泣いたり脅したり、絶縁すると喚いて、やめさせるのか、
それとも見て見ぬふりをしながら、しぶしぶ共に生きるのか・・・
いずれ、ひとりひとりが問われる日がくるだろう。

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宿命
2016-06-02 Thu 18:04

『あの破壊は他からの暴力だろうか』


わたしらの夜をついに鋳つぶしにきたのか。
むじひに罰しに。
くされた球茎に気づかぬわたしらを、
矯めなおしにきたというのか。
あほうどもの腸でこしらえた弦の音に
いつまでも踊らされるわたしらの性根を、
やっぱり叩きなおしにきたのか。
そう言いたくなるのもわからんではないけれど、
真相はこうなのだ。

宇宙がちょっと身じろぎ、
はずみで
聖人堀緑地のいけがきの
真っ赤に熟した
ヒマラヤトキワザンザシの実がひとつ、
落ちてころげて、
海にぽちゃんと入り、
かすかな漣をつくっただけの話だ。
じつに無ほどに小さな漣を。

真っ赤な
ヒマラヤトキワサンザシの実は
わたしのなかに熟し、
ある日、ひと粒が、
ゆくりなく宇宙の海に落果した。
おのずからの暴力。
かすかなその漣で世界が絶えることもあること。

とりかえしのつかぬ罪は
それらをこばむ無知。
宇宙の海はわたしのからだのなかに、
うねりただよう。
あがなえぬ海。
かすかなその漣で世界が絶えることもあることを。

とりかえしのつかぬ罪は、
語りとどかぬ、予感しない言葉。
それが盤古をあやめる大罪となった。


*   *   *   *   *   *


『死者たちにことばをあてがえ』


わたしの死者ひとりびとりの肺に、
ことなる それだけの歌をあてがえ
死者の唇ひとつひとつに
他とことなる それだけしかないことばを吸わせよ
類化しない 統べない かれやかのじょだけのことばを
百年かけて
海とその影から掬え
砂いっぱいの死者にどうかことばをあてがえ
水いっぱいの死者はそれまでどうか眠りにおちるな
石いっぱいの死者はそれまでどうか語れ
夜ふけの浜辺にあおむいて
わたしの死者よ
どうかひとりでうたえ
浜菊はまだ咲くな
畦唐菜(アゼトウナ)はまだ悼むな
わたしの死者ひとりびとりの肺に
ことなる それだけのふさわしいことばが
あてがわれるまで

(どちらも辺見庸、詩集『眼の海』より) 



*   *   *   *   *   *


天変地異のときは、わずかな間だ。
だが宇宙の、一瞬の身じろぎを前に、
人のいとなみは、あまりにも脆かった。

<今日>という日は、そのあとはもう、
どこを探しても見つからず、ただ「数字」が記され、
「あの日」と呼ばれ、身体に記憶を遺伝させる。

地が裂けて、海が押し寄せるのは、
たしかに、宇宙的なできごとだが、
天罰というのは、そのことではあるまい。

それよりもたちの悪い、「無知」の結果は、
神の怒りとは異なり、あまりに理不尽で残酷だ。
重荷を担わされるのは、悪人たちではなく、
罪なき子どもたちなのだから。

人の心は、意識するよりはるかに広くて深い、
茫洋深沈とした、知られざる海だ。
水面は、陽光できらめいていても、
底なしの淵には、闇の流れが横たわる。

「真実は、もっとも抑圧された場所に宿る」ように。

海溝の奥には、ヒマラヤトキワサンザシの、
赤い実を追いかけて、海の底まで飛び込んだあげく、
億劫の時間を、プレートの歪みに引き裂かれながら、
身もだえしつづけるほかない、あなたの恐怖がある。

春の野辺には、生暖かい雨に打たれながら、
眼前に横たわり、ますます凍えてゆく瓦礫にうもれた、
死者たちの前で、なすすべもない、あなたの悲嘆がある。

真実は、だれの目にも、すすんで映ろうとはせず、
だれからも聞いたことのない、あなただけの、
形骸でない、推敲もしない、低いつぶやきに身をひそめる。

すこやかでとうとい、
いつわりなき愛の炎に融かされた涙を、
なにかに遠慮して、恥じたり、隠したりするならば、
大地があきらめずに語り続ける、明日のための警告も、
しつこく悩ましい、耳鳴りのようでしかないだろう。

慰めるように甚振る、巨大な機構の酷薄にたじろぐ人は、
気持のいい麻酔に、さっと手をのばすのがつねだ。

今日も明日も、風塵に膚を刻まれながら、哭きやまぬのは、
それこそ、さまよえる<言霊>に憑依されて、
とうとう気が触れてしまった人だけで、じゅうぶんなのだ。



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