Dark night of the soul Secret path to the Light

『これが、国家なのか』 
2014-04-24 Thu 01:51

2011年3月を、日本人が 永遠に心に刻むように、
2014年4月を、韓国人は、決して忘れないだろう。

一方は天災で、一方は人災なのか・・・そうだろうか?
どちらも、おなじではないか。

国が、転覆したのだ。なすすべもなく、目の前で・・・
そして、たくさんの命が、奪われていった。

わかるだろう。そういうことなんだ。

真っ先に逃げ出した船長や、不甲斐ない船員たちの話も、
最後まで任務を全うして、命を落とした女性乗務員の話も、
楽しい修学旅行の途中で、犠牲になった生徒たちのことも、
残された遺族たちの慟哭も、李明博時代の規制緩和で、日本の古い船を買い、
安全を無視して改造し、積載量を超えた積荷を載せて航行し、
危険な水域で、未熟な舵を切ったことも、他のことも、もういいだろう。

連日の報道で、日本人はあることないことを、たっぷり聞かされ、
隣国の不幸に、呆れもすれば、涙もすれば、いよいよ蔑みもしたはずだ。

だからもう、そんなことは、話したくもない。


肝心なことだけ、書いておこう。

韓国人にできることが、なぜ日本人にはできないのか?


韓国紙「中央日報」は、こう記す(4月21日)。

この6日間、私たちの心はすべて、珍島沖の孟骨(メンゴル)水道に向かった。
無情に短い停潮時間、雨が降らないか、風はどれほど強いかと心配した。
奇跡が起こらないかと注視した。しかし昨日午後、次々と引き揚げられる
安山檀園高校の、生徒の遺体を見ながら、私たちは気を落とした。
この残忍な4月、大人の裏切りで、冷たい遺体となった17歳の生命…。

昨日は復活祭だった。半月後は釈迦誕辰日だ。
私たちは亡くなった生徒に、この野蛮な地に生まれ変われという、自信がない。

むしろ三国遺事の、『元暁大師と蛇福の話』から借りた、
小説家キム・フン氏の、26年前の弔辞が胸に響く。

「行きなさい。そしてふたたび、生死を繰り返してはいけない。
 人間であれ、畜生であれ、二度と生を受けてはいけない。
 腐って、“空”になりなさい。
 あなたが行ったそこはどうか・・・黄色い日が昇り、白い月が浮くのか」



なんという悲痛な、弔いの言葉であろうか。

「韓国は、子供たちに、幸福を約束できない国だ」と、罪状を告白しているのだ。

偽りの希望や、気休めのプラス思考、未来志向など、どこにもない。

凄惨な悲劇を、目の当たりにした、率直な気持だ。

韓国の人々はいま、自国を蝕む病と、受けた傷の深さと、
罪の重さとその代償の大きさに、打ち砕かれている。

あの転覆したセウォル号こそが、自分たちの国であり、社会そのものであり、
あれら無責任な船長と船員たちには、自分たちの姿が重なると・・・

どのメディアも、わが身を責めさいなむように、厳しく国のあり方を問う。
身から出た錆なのだから、その煩悶と慙愧、悔恨は、なおさら深い。

そうやって、国全体が慟哭している。


沈没事故
(写真はハンギョレ新聞より。雑誌「ハンギョレ21」の表紙)

「これが、国家なのか(이것이 국가인가)」。


日本に当てはめれば、福島の「死の街」を表紙にしてこそ、
もっともふさわしい、タイトルではないのか。

2011.3.11以来、枝野幸男の「ただちに影響はありません」から、
安倍晋三の「アンダーコントロール」まで、日本に住むわれわれも同じように、
どれほどの嘘と欺瞞と、無為無策と責任放棄を、見せ付けられてきたことか。

韓国では、当面の責任者は逮捕されたが、日本では罪の意識さえない。
だから異常なことが、これからも続く。そんな政府を、支持する限り。
声を上げるよりも、騙されているほうが心地がいいと、感じている限り。
このことは、これまでに何度も書いたので、いまさら虚しいばかりだが。


それにしても・・・事故当時、セウォル号の操舵を担当していたという、
経験の浅い、若い3等航海士の女性は、これからどうなるのだろうか?
過失致死とはいえ、あれほどの大惨事は、戦争での犠牲者にも等しい。
その事実の重さに、どうやって向き合ってゆけるのだろうか?

だが社会が真に甦るとは、彼女が法の裁きを受けて、その罪を償い、
生まれ変わった気持で、ふたたび世に、生きる場所を得てこそではないのか。

いま血を流しているのは、国そのもの、社会そのもの、われわれの時代でもある。

もう二度と、そこで生きようと志した海には、戻れないだろう。
海を見ることさえも、辛いだろう。生きている限り、贖罪の日々が続くはずだ。

それを思うときに私は、いつだれが、この若い3等航海士と同じように、
ある日突然、この時代の負債を、思いがけずも、一身に引き受けることになるのか、
今日明日、だれの身に起こっても、まったく不思議はないと、恐怖するのだ。
われわれの誰もが、この歪んだ社会のどこかに、組み込まれているのだから、
いつでも犠牲者や、あるいは加害者に、なりかねないということだ。

多くの人命を預かる輸送機関が、営利本位のいいかげんな会社に運営され、
労働者を低賃金で、使い捨てる非正規労働の問題(船長も契約社員だった)。
社員の教育は行き届かず、事なかれ主義が蔓延し、様々な不備が増大してゆく。

新自由主義が要求する、規制緩和のおそるべき実態に、踏み込んでゆけば、
日本にもそのまま当てはまる、会社や事故が、いくらでも思い当たるだろう。

事故を起こした船長船員や船会社のみ糾弾し、罰すれば済む問題ではない。
あそこに私がいる、あの会社はここにあもる・・・そこまで考えてみなければ。

限りなく痛ましく、寄る辺もなく悲しく、無性に腹立たしく、悔しく、
許しがたい事故であるからこそ、なおさら・・・子供たちのだれもが、
喜んで生まれてきて、幸せに生きられる、社会を模索してゆかなければ。

しかしそれは、多くの命を沈めてしまった、霧深い海の流れを渡るよりも、
さらに困難で、険しい道のりになるだろう。これからも、苦難は続くほかない。

韓国も、そして日本もまた・・・

経済成長という大義の大道を、脇目もふらずに暴走する、命を省みず、
せわしく、心を忘れ去った、人を人と思わぬ社会が作ってしまった、
このおなじ病、おなじ傷から、人間性をどうやって、回復させることができるのだろうか。




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別窓 | impressions
桜咲く国の、花の心に・・・
2014-04-07 Mon 01:51

びかんちくのさくら2

倉敷美観地区(4月2日)。旧大原邸前の倉敷川と白鳥。
満開の桜は、そよとの風もなく、ただひとつの花びらも動かず、
その静的な息遣いが、待ちわびた春を、いまここに留めています。
桜の向こうにあるのは、ヤマモミジの紅い新芽です。

北帰行 わすれ白鳥 花の影 うつす水面の 雲間に遊び


おおはらていのさくら

倉敷川畔の、柳の芽吹きも鮮やかで、春のこの数日こそ、
大原美術館の、有名な「丸窓」からの眺めは、天下一品なのです。
(残念ながら撮影は禁止)

丸窓の 柳と桜 春を留め


椿越しの桜 

一般の桜便りよりも、やや遅めに咲き始める、わが家の桜です。
手前には藪椿、その向こうの低い樹はサクランボ、桜の足元には菜の花。


桜全景2

上の桜を真横から見ると、樹木らしくこんもりと、まあるい形になります。
満開の時期には、ここに友人知人、近所の方を招いて、お花見をいたします。
雨の午後、ようやく西日が射すころの、涼しげな様子です。
時期を少しずつずらして播いた、数種類の菜の花が、周りを囲みます。

ひとしきり 雲の行き交い 雨上がる 風の桜の 花の静けさ


青空に映える桜

枝ぶりは、あちこち伸び放題ですが、ただひとつの花も、
人の意識に染まろうとせず、咲くにも散るにも、「時知りてこそ」なのです。


さくらともものはな 

桜と一緒に、畑では桃の花も咲きます。
すぐそばに植えてあるので、両方を同時に楽しむことができます。
果樹にとって、花とはすなわち、ひとつの器官、役割に過ぎませんが、
対立と止揚を経て、より高く、完成されたものに向かう、美しい姿です。


もものはな

桃の花は、華やかというより勇ましく、元気な男の子のイメージがあります。
女性的なのは、神々の「不死の果実」にも似た、味わい深いその実でしょう。
春雷のとどろく、険しい雲行きの空にも、たじろがすに咲いている・・・
その気迫ある様子は、鬼に金棒ではないでしょうか。

そはまるで かみなり様か 桃の花


桜・作品1

桜を、ぼんぼりのようにして、生けてみました。
椿、桃、小手毬、貝母、クリスマスローズ、菜の花、鈴蘭水仙・・・
どれも、わが家の春を彩る花です。


桃花源の入口

そうして月影は、夜ごとに地上の花を訪ねて、息をもたらします。
桃ばたけも、夜のどこかに吸い込まれてゆきそうな、異界への入口です。

半夜月の 異界へ迷ふ 桃ばたけ

※半夜月(반야월 パニャウォル)


夜半月

半月の夜には、条件によって、月面に不思議な模様が現れる現象があります。
ブランキヌス、 ラカイユ、 プールバッハという、月面クレーターの壁面が、
朝日を浴びて輝くわずかな時間、その稜線を真上から、つまり地球から眺めながら、
そこに現れるある文字を探すのは、地球人にしか味わえない醍醐味です。

月峰の 朝の谷間に射す影は 桃と桜の 輪舞のかなた 


銀河と桜

それにしても、夜の神秘と荘厳さは、ただ花にのみふさわしく
人の存在も、その微かな物音も、思念さえも、恥ずかしいほどです。
星を仰ぐこと。無心であること。万有とひとつになること。
花に、人の心を投じるなかれ。むしろ人こそ、花の心を知るべし。
そのとき、星と花は、人の素肌になるでしょう。

夜桜2

すでにオリオン座は西に傾き、おおいぬとこいぬが、それを追いながら、
五車の星も落ちて行く。木星とふたご座が、帆のような三角を描いて、
松の梢に掛かるころ、青白い妖気の「積尸気」が、天を渡ってゆくと、
天は、銀河の北極に開かれて、勇壮な獅子や、おおぐまが闊歩します。

おとめ座に抱かれて、あちこちに蠢く火星は、ますます地球に近づき、
少し遅れて土星が、正義の女神の天秤に、掛かろうとしています。
まもなく北東の空には、織姫星が、南の低くには、さそり座が昇るでしょう。
春の夜空に、花を浮かべた夏銀河が、流れるでしょう。

黒き髪 梳かしささめく 夜の花 鏤む銀河水の 衣纏わん

※銀河水(운하수、ウナス。韓国語で天の川のこと。ミリネとも)

仙女峰の月夜

もし、桜の花咲く国に生まれた、幸せというものがあるとしたら、
それは、人の心には寄り添わぬ、花の心を知る、その喜びではないかと。



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