Dark night of the soul Secret path to the Light

沈黙する罪 
2013-02-12 Tue 01:30

いまに、はじまったことではない。だがこれ以上、
このようなふるまいが、この国で、ゆるされていいのだろうか?

こんなものを放置したまま、日本国は、
国際社会に、どんな顔向けができるというのだろうか?

それ以前に、これは人として、赦されないふるまいである。
日本人は、いつから人間であることを、自ら放棄したのか?

日本国首相や、東京都知事はいますぐ、これらの行為を非難する声明を発表し、
彼らが、憎悪の矛先を向けている隣人たちを、ひとり残らず、身を挺して守ると、
国の名誉にかけて、約束し、実行しなければならない。

日本国民は、どんなレイシズムも、憎悪犯罪も許さない。

彼らが名指しする隣人たちだけでなく、日本に在住する、すべての人種と民族に
どんな不安や恐怖も与えてはならず、どんな危害も加えられてはならない。
広く国際社会にも訴え、国内でも法律を、早急に整えるべきです。

安倍総理。あなたは、日の丸が冒瀆されているとは思いませんか?
日本国の品位を傷つけ、根幹をゆるがす、恥ずべき行為とは思えませんか?

彼らは、「ごく一部の、特殊な思想傾向を持つ人々」ではない。
「ごく一部の」という捉え方は、危険である。

ぜひ、動画を探して見ていただきたい。見て見ぬふりをする人々は多い。
「ごく一部の、特殊な」集団だから、関わらぬほうがいいと、
圧倒的な多数の人々が、不気味に思いながらも、無関心を装っている。
物騒で、こわそうな集団が通り過ぎれば、もう忘れている。
そうやって人は、「ごく一部」に加わり、「ごく一部」は膨らんでゆく。
沈黙によって、加担することになってしまうからだ。

イジメと同じことだ。傍観者こそが、共犯者となるのである。動画

「害虫駆除」「○○人をたたき出せ」「三韓征伐」「不逞○人追放」
「良い○○人も悪い○○人もどちらも殺せ」「○○人首吊れ毒飲め飛び降りろ」
「ゴキブリウジムシ○○人を叩き出せ!」「○○民族を皆殺しにしろ!」
「ガス室を作れ!○○人を叩き込め!」「こーろせ殺せ、○○人殺せ!」

あなたは日本人として、これらにも一理あると、頷けるだろうか。

8月6日、炎天下の広島でも、同じような一団を、目の当たりにしたことがある。
田舎街の書店にも、近隣国への失礼な暴論妄説は、山ほど売られている。
それらの内容は精々、日本国内の「身内」にしか通じない、言説だとしても、
無批判に受け入れ、目の色を変えてしまう人たちが、少なからずいるとしたら、
日本の孤立どころか、国家そのものの、カルト化さえ招きかねないだろう。

オスプレイに反対する沖縄の人々が、東京でデモをしたときの様子を、
『戦後史の正体』や『日本の国境問題』などの著書で知られる、
孫崎享氏は、ツイッターで次のように記している。

沖縄:昨日糸数慶子氏と対談
「オスプレーで沖縄41全市町村長上京し、訴え。後、銀座でデモ。
行進の両脇で、中国の操作されているとの、大量の罵声に驚愕」。
オスプレーが安全であるとか、安全保障上必要と反論するなら解る。
しかし、「中国のスパイ」的反論でしか、反論できず、
かつ、一定勢力もつは恐ろしい現象(1月30日)

反響・オスプレイ反対、沖縄の人々の銀座デモ・平山鉄太郎
「"中国に操作されているとの大量の罵声に驚愕”。これは本当に驚きました。
いわゆる右翼団体の構成員ではなくて、(見た目は)ふつうの"市民"が
日の丸振りながら「非国民死ね!」とか絶叫していて唖然としました。」
(1月30日)

軍事ジャーナリストの神浦元彰氏は、次のようにツイートしている。
「『中国軍と自衛隊の軍事衝突が起きる』と話して欲しいと
テレビ番組のスタッフから電話。今回は中国軍の未熟を指摘し、
「あえて危機を煽ることは出来ない」と断ると、
そのように話せる人を紹介して欲しいと聞かれた。
またか。どうしてテレビは戦争をさせたいのか。
明日は日中戦争が始まると放送なのか」(2月5日)

同じく神浦氏によれば・・・
「自衛隊と韓国軍が竹島で戦う、自衛隊と中国軍が尖閣で戦う。
 兵器の写真をいっぱい使いたい。そんな仮想の戦争企画をやりたいと、
 監修依頼が殺到中。どうして日本が、韓国や中国と最終手段の戦争をするのか。
 今までの韓国や中国との友好は何だったのか。
 日本人はいつからこんなにも戦争が好きになったのか。
 そろそろ気づくべきなのだが・・・」(2月23日)

すでに「ごく一部」ではなく、大多数の日本人の心は、知らずのうちに、
民族差別と排外主義に侵食されて、戦争へとまっしぐらに誘導されている。

中国を訪問した鳩山元首相は、尖閣諸島を「係争地」と表現したことで、
「国賊」であると非難され、「腹を切れ」「万死に価する」と罵られた。

男性であれ、女性であれ、普段は温厚で親切、礼儀正しい人が、
歴史や領土の問題になると、客観性そっちのけで、別人になり果てる。
仲のよい友達でさえ、怖がって黙り込み、話をしようとしない。
そして不安そうに言うのだ。「どっちがほんとうなのか分からない」。

若者達は、いまより無知と偏見が強かった戦前の、お年寄りさえもが、
人間の品位を失うまいとして、絶対に口にしなかったような、差別発言を、
ネット上であれ、道を歩きながらであれ、平然とおこなって恥じない。

原発問題では、メディアの嘘などすぐに見抜いて、得意がる人たちが、
竹島や尖閣の話になると、偏向の強い報道でも、まる呑みに信じてしまう。

子供たちを放射能から、命懸けで守ってきた、お父さん、お母さんたち。
お子さんたちの心を、レイシズムの汚染からも、守ることができますか?
命と未来を守れと訴える唇で、「○○人を殺せ」と叫ぶことができますか?

こんな国の首都に、オリンピック招致など、失礼にもほどがある。
(もとより、放射線被曝と直下型地震が懸念されるため、開催は不可能だが)

日本人はかつて、関東大震災の混乱のなかで、多数の朝鮮人・中国人を殺害した。
それを思い出させる出来事が、いまから13年前にあった。

2000年9月3日(関東大震災の発生は9月1日=防災の日)、 
石原東京都知事は、陸海空の自衛隊員を動員して、防災訓練に名を借りた
大規模な軍事演習を展開し、国民の軍事への関心と興奮を、一気に覚醒させた。

「いまの東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が
 非常に凶悪犯罪をですね、繰り返している。・・・・・
 こういう状況を見ましても、大きな災害が起きた時には、
 大きな騒擾事件すらですね、想定される、そういう状況であります。
 ・・・・・そういう時に、みなさんの出動を願って、災害の救急だけではなしに、
 やはり治安の維持もひとつ、みなさんの大きな目的として、
 遂行していただきたいということを、期待しております」。
(2000年4月9日 陸上自衛隊練馬駐屯地での、石原氏の挨拶より)

「三国人」とは、朝鮮人、台湾人などの、旧植民地の人々を指したが、
わざわざそうした呼称を使って、犯罪や暴動を起こすと説きながら、
治安維持のために、軍隊で鎮圧してもらいたいと、期待しながら、
石原都知事は、関東大震災を心に刻む防災訓練に、その大演習を決行した。

なにを意味するか?国家の暴力意思である。 
憲法破壊への情念、日本国の右旋回、国民意識の変貌、
かつて蹂躙した東アジアへの、剥き出しの侮蔑と敵意である。

この国の「右傾化」は、いまにはじまったことではない。
その布石は、きちんと見える形で、着々と敷かれてきたはずだ。
そしていま、12月の衆院選での、自民と維新の得票率を合わせれば、
国民の半数が、改憲を掲げる「極右」を支持する、結果がもたらされた。

心ある人々はいま、深い痛恨と憂慮のなかで、
ドイツの牧師マルチン・ニーメラーの、警告詩を思い出す。


『最初にナチスが共産主義者たちを攻撃したとき』

最初にナチスが、共産主義者たちを、攻撃したとき
わたしは、声を挙げなかった。
共産主義者ではなかったから。

次にやつらが、社会主義者を、投獄したとき
わたしは、黙っていた。
社会主義者ではなかったから。

それからやつらが、労働組合員たちを、逮捕したときにも
わたしは、抗議しなかった。
労働組合員ではなかったから。

そしてやつらが、ユダヤ人を、捕えたときにも
わたしは、黙っていた。
ユダヤ人ではなかったから。

さらにやつらが、カトリック教徒を、捕えたときにも、
わたしは、抗議しなかった。
わたしは、プロテスタントだったから。

最後にやつらは、私を捕まえたが、
もはや抗議できるものは、だれもいなかった。



たとえば石原都知事が、女性を侮辱したとき・・・あるいは「三国人」を、シナを、
障害者を、同性愛者を差別したり、左翼を攻撃したとき、どうだったろうか?
自分に関係なければ、聞こえもしないし、じつは、同調してもいたはずだ。
たとえ標的が自分たちであっても・・・一緒に楽しみ、笑い飛ばしていた。

「女性が生殖能力を失っても、生きているってのは、無駄で罪です」。

そのとき大勢の女たちは、「いかにもこの男らしい」と、気にも留めず笑った。
ある女たちは怒り、訴えたが、相手にもされず、退けられた。
それでも、女たちは笑った。「ババアは死ね」と言われながら、笑っていた。
男らしく、頼もしいと、何事でもないように、同意しているかのように・・・
いまも美容院で、女性誌を読みながら、「石原総理大臣」に抵抗を感じない。

「アウシュヴィッツ」における不可解なものとは、死刑執行人やその助手や、 
 大量殺戮の技術的完全化だけではなく、神の隠遁だけでもなかった。
 それは、傍観し、目をそむけ、目を閉じ、犠牲者を孤独に見放し、
 大量殺戮へと引き渡した人間の、沈黙であった。
 (ユルゲン・モルトマン、1989年)


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