Dark night of the soul Secret path to the Light

半月夜の文様 と 『レ・ミゼラブル』
2013-01-19 Sat 19:39

こんばんは。不思議な月夜へようこそ。

今宵は、上弦の月(半月。月齢7.6)の夜。

17:30頃から約2時間ほど、月面の真ん中の、ちょうど昼夜の境目に
糸でバッテンをつけたような、「X」の文字が、浮かび上がりました。
「月面X」と呼ばれる文様であり、現象でもあります。

ブランキヌス、 ラカイユ、 プールバッハという
クレーターの壁面が、朝日を浴びて輝くわずかな時間、
その稜線を真上から眺めると、「X」に見えてしまう偶然は、
地球人にしか味わえない醍醐味。月や星好きの人には、格好の話題です。

残念ながら肉眼では見えないのですが、望遠鏡があれば、充分楽しめます。
文様がもっと大きければ、豪快なのですが、よく晴れていれば、
どこどこ?と探さなくても、X文様が、くっきりと確認できます。

日の暮れたあとの、まだ青い空に浮かぶ半月が、宵闇に包まれるまで、
ワンコを膝に暖を取りつつ、大小に倍率を変えながら、ひたすら月を眺めました。
神秘というほどの景色ではありませんが、絶妙の刻一刻を堪能できました。

半月を地球から見れば、お月様の真横から、太陽の光が当たっているので、
表面のクレーターなどの、山や谷に、鮮やかな影ができて、
月面の地形が、より立体的に見えるため、観察にも適しているのですね。

月面Xは、半月になれば、いつも見られるわけではなく、
微妙な角度や時間があるので、夢幻のごとき趣がありますが、
次の機会は、3月19日、5月17日になるそうです。
ご興味のある方は、ぜひお月様を、仰いでやっていただけますように。

月面X

拙い写真で申し訳ございませんが、「X]文様、どこだかお分かりですよね。


(休憩します。このあと、もう少し別のことを書きます)


ながらく放置してしまい、たいへん申し訳ございません。
ここからは、先日鑑賞した映画『レ・ミゼラブル』について、書きたかったのですが、
あの映画を理解するには、どうしても、原作にじっくり取り組まなければと思えてならず、
ここには、簡単な印象だけを、書かせていただくことにいたします。
(いわゆる「ネタバレ」満載ですので、ご注意下さい)

フランスの文豪、ヴィクトル・ユーゴーの大河小説をベースにした、
もともとはミュージカルであった作品を映画化した、見ごたえある作品です。
フランス大革命と、ナポレオンの失脚を経た、復古王政の下で、ふたたび  
革命の機運が盛り上がる時代背景と、人間とは、革命とは、愛とは何かという、
根源的な問いを、共有できるか否かが、作品理解の決め手になると思います。

冒頭の、嵐のトゥーロン港に傾いた巨大帆船を、大波を被りながら、囚人たちが
綱で曳いてドックに固定する、荒々しい見せ場の、天地がどよめくような
迫力ある男性コーラスで、観る者は一挙に、物語世界に引き込まれるでしょう。

囚人のなかの、ひときわ眼光鋭い怪力の持ち主が、主人公のジャン・バルジャン。
一切れのパンを盗み、19年間も投獄された男の、愛による、人間再生の物語。

およそ女としての、不幸という不幸を一身に被り続ける、ファンテーヌへの約束で、
その娘で孤児となり、いかがわしい宿屋で虐待を受けるコゼットを、彼は引き取ります。
二人は実の父娘のように、慎ましく平和な暮らしを送りますが、どこへ落ち着こうとも
脱獄囚としての過去は拭いがたく、ジャベール警部の姿となって、彼を執拗に追い詰め、
幸福と成功とを手にした瞬間、必ずそれは、粉微塵にぶち壊されてしまいます。

やがて時代は風雲急を告げ、コゼットの恋人マリウスは、革命家の仲間たちの間で、
恋か革命かに悩みながらも、闘いに身を投じ、それを知ったジャン・バルジャンもまた、
父親としての愛情に苦悩しながらも、己に打ち克ち、彼を探すべく革命の巷に赴きます・・・

重厚なオペラを思わせる、豪華な仕上がりでありながら、だからこそ、
そこに描かれ、謳いあげられるのは、「レ・ミゼラブル」(=「悲惨なる人々」)。
社会の底辺に生きる、抑圧されたあらゆる人々の、それでも希望を失わない、
雑草のように猥雑な生命力ではなく、自由を求める、気高い人間精神なのです。

ここでは、「人間」なるものの諸相が、どれほど厳しく、豊かな彫琢をもって、
描かれていることでしょうか。ひとりの囚人、ひとりの娼婦の言葉にも、
積み重ねられた、歴史があるからこそ、おごそかであり、真実なのです。

印象的だったのは、法の正義を頑なに信じ、滑稽ともいうべき偶然さで、
ジャン・バルジャンの行く先々に現れては、立ちはだかるジャベール警部と、
いまは真人間として生きる、ジャン・バルジャンとの、最後の対決場面です。
それはもはや、剣や法による対決ではなく、互いの理解をも超えた、
人間性の発露ともいうべき、自発的な許しと寛容による行為で、
ジャン・バルジャンを見逃してやった警部は、おのれの行為そのものに戸惑い、
懊悩しながら、ノートルダム橋から、激しい水流のなかに、身を投げます。
この時、彼を見下ろしていた、星もない闇夜に浮かびあがる、黒々としたパリの街、
その静謐と沈黙の重さが何であったのか、私には、いまもその答えが得られません。

もうひとつは、脇役ながら実に個性的だった女性、エポニーヌの自立した自我です。
彼女は幼いコゼットを虐待した、自堕落な夫婦の娘ですが、
彼女もマリウスを愛しながら、いじわるなどせず、二人が結ばれるように計らい、
エポニーヌ自身は、男装して革命に身を投じ、銃撃を受けて死んでゆきます。
好きな人の傍にいたいという、不細工ながらも純情な娘心といえば、陳腐ですが、
彼女の選択は、愛ゆえの衝動というより、むしろそんな盲目からの脱出であり、
ここにも、個人の体験を革命に昇華させ、自由を志向する、人間精神があるのです。

エポニーヌの人間像に比べれば、コゼットとマリウスの恋愛は、浅薄なものに見えます。
一目ぼれの恋ほど失望も大きい。二人の前途には、困難が待ち受けているでしょう。
幼少期の虐待を除いては、ジャン・バルジャンの、献身的な愛に守られて育ったコゼットは、
育ての父の過去も、革命の何たるかも知らない、今朝咲いたばかりの白い花。
ただ一人生き残り、仲間を失ったマリウスに、「過去は忘れて、未来を見つめて」と励ます
コゼットの優しさは、その愛を、微笑を守ってやりたい、清純無垢の存在ながら、
やがて苛立ちの種となり、夫のマリウスは、そんな結婚生活に欺瞞を感じて、
その後も続く革命に、ふたたび参加してゆくであろうことは、容易に想像できます。

その時、コゼットもまた、妻として引き止めたり、仕方なく従うのではなく、
一人の人間として、市民としての自覚を持って、自らの意思で立ち上がってこそ、
エポニーヌの、ほんとうの姉妹となれるのだと、思わずにはいられません。

最後の場面では、パリ市民が、家具を積み上げて築いた、巨大なバリケードの上で
高らかに「民衆の歌」を歌います。そこには、革命で斃れていった若者たち、
彼らの血を拭った女たち、ジャン・バルジャンも、エポニーヌもいます。
祖国の名で「自由」を讃え、誇らしげに三色旗と赤旗!を振る、民衆の姿。

フランス人にとってのフランス、ロシア人にとってのロシア、
韓国人にとっての大韓民国・・・それは、まさに民衆のもの。
民衆の血によって、自由を贖った歴史の重みがあるからです。

劇場の暗がりで、周囲から、すすり泣きが聞こえてくるなか、
なんともいえない寄る辺のなさに、いたたまれない思いでした。
いまこの国、この時代に、なんと場違いな、映画を見てしまったことかと・・・
その想いは、おもたい澱となって、じんわり胸のなかでわだかまり、
これから先も、いつまでも解けることはないのだろうか・・・


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別窓 | impressions
冬至~太陽と月と銀河~黄道十二星座
2013-01-12 Sat 03:34

こんばんは。凍てつく冬の夜です。
明け方の寒さも、若くない身には堪えます。

「峰々はとどろき、か弱き橋は、崩れ落ちるとも、
 狩人は、猛き心を持ち、険しき道を歩みゆく・・・
 春も来たらず、緑も生えぬ、氷の大地を踏みしめつつ・・・」

(冬が来る度に思い出す詩ですが、詠み人もお題も知らず。
 ご存知の方はおられるでしょうか?わが心境そのものですが・・・)

さて、今夜は、久しぶりにお星様の話を、したいと思います。

12月に入り、日に日に寒さが募ると、太陽もぐっと南に低く遠のき、
日の脚もますます短くなり、午後5時前には日が沈んでしまう・・・
お日様にソッポを向かれたような、さみしさ、わびしさといったらありません。
それでも「冬至」を過ぎると、なんとなく、太陽がにこやかに感じられ、
これからまた、新しい季節が巡るんだという、嬉しさと安堵を、感じます。

キリスト降誕祭である「クリスマス」は、習慣的に12月25日に祝われますが、
この日にキリストが生まれた証拠はなく、いわば「降誕を記念する日」です。
もともとは、古代ローマで盛んだった、ミトラス教で祝われる(ミトラスは太陽神)
冬至のお祭りを取り入れたものといわれ、短くなり続けていた昼間の時間が、
この頃を境に長くなるために、「太陽神が再び生まれる」という信仰があったのを、
キリスト教の、救い主の降誕の意義に、重ねあわせたものと言われています。

日本では、クリスマスを過ぎると一目散に、ツリーをしまって門松を準備したり、
新年に向けてお大忙しですが、日脚はふたたび長くなり、気分も明るくなって、
晴れ晴れと、新春の初日の出を迎えられるわけですね。
(今年は、とてもそんな気分ではありませんでしたが・・・)

さて初日の出。ここ数年は、寝坊が慣例になり、拝んだこともありませんが、
最近ではもうひとつ・・・星好きの間では、「はつきので(初月の出)」なるものも、
楽しまれているようですよ。元旦の、月の出を拝もうという趣向ですね。

現在の暦は陽暦なので、ついたちの月の出の時刻や月の形も、年ごとに異なるため、
「初月の出」を拝むならば、満月以後のお月様でなければ、ちょっと無理なんですが、
(三日月や半月は、日が暮れたら、すでに空に浮かんでおりますので・・・)
2013年の初月の出は、午後9時前(地元の時刻)で、満月を4日過ぎて、
いくぶん欠けた「寝待月(臥待月)」の姿で、しし座の足元に、昇ってきましたよ。

ところで元旦の太陽ですが、私にはひそかなる楽しみが、あるのです。
見えないものを見ながら、一人で勝手に喜ぶ習慣です。それは・・・
青空のずっと奥で燦然と、天から流れ落ちる、光の大瀑布です。

昼間は太陽が明るくて、見えないけれど、お星様も、ちゃんと出ているんですよ。
いまは冬なので、夜の間にはもちろん、オリオン座やおおいぬ座などの
冬の代表的な星座が見えていますが、昼間はどうかといいますと、
季節が逆になり、さそり座や白鳥座などの夏星座が、青空の彼方にあるわけです。

そこで元旦の太陽と空に、この見えない星の背景を、重ね合わせてみますと、
冬至の頃に太陽は、ちょうど夏星座のひとつである、いて座に入るのですが、
いて座の方向には、天の川の底の、もっとも深くて濃い部分、つまり
われわれの天の川銀河の、ぐるぐる渦巻きの中心があるんですね。

つまり元旦に、太陽を拝むと・・・その背景には、見えないけれど、

銀河中心

ちょうど、このような絢爛たる天の川が、流れているわけです。

いかがでしょうか? こうして、天の川の季節、銀河中心へのよすがとして、
元旦の太陽は、私にとって特別に意義深く、有難いものなのであります。
(私がなぜ、銀河の中心が好きなのか、理由をご存知の方は、内緒ですよ)

どんな言語をも絶する、そしてどんな天体写真をも凌駕した、宇宙の姿に、
ただ一度だけ、身も心も、霊魂も、完璧に圧倒されたことがあります。
まさに光が、闇を引き裂いていた。あれこそが、天界であると。
1995年の年明け、アフリカの山岳地帯での体験です。
そのお話もまた、させていただきたいと思います。

お正月も10日を過ぎましたので、太陽はもう、ここからは離れましたが、  
もうしばらくは、いて座で過ごし、1月20日頃には、次のやぎ座にはいります。

いて座、やぎ座・・・そう、天球上の、お日様の通り道(黄道)の上にある、
12の星座が、星占いにも登場する誕生星座(黄道十二宮)に当たるわけで、
各星座の誕生期間とは、その星座を太陽が通過する期間を、表すわけですね。

 ※ 黄道十二星座とは、春分点を起点に、
   うお座、おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、
   おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座 になります。 

ところで・・・ん? なんとなく、お気づきの方がおられたかもしれませんが・・・
星占いの場合、いて座の誕生期間に当たるのは、11月23日~12月21日ですが、
実際には、いて座を太陽が通過する期間は、12月19日~1月19日です。
ほかの星座も、星占いと実際のデータが、ほぼ一ヶ月ほどずれています。

たとえば私は、星占いでは、さそり座(10月24日~11月22日)の生まれですが、
実際この時期に、太陽が通過しているのは、おとめ座(9月17日~10月31日)です。
誕生日が10月下旬なので、てんびん座を飛び越えて、2つも前の星座になるんですよ。
サソリか、乙女か・・・どちらでしょ。性格にしても、えらい違いだと思いますけど・・・。
これは一体、どういうことでしょうか??? 天が・・・動いたのかな???

宇宙の星はそれぞれ、高速で移動していますので、途方も無い歳月をかけて、
星の並びが変わってしまうのは、やむを得ません。たとえば北斗七星ですが、
10万年後には、柄の折れ曲がった、フライパン状態になるらしいです。

しかし黄道十二星座と、占星術の十二宮のずれには、別の理由があります。

それはちょっと、ややこしいのですが・・・
地球の自転軸は、公転面に対して23.5度傾いているのは、ご存知だと思います。
こぐま座の尻尾の先に当たる、「ポラリス」という星が、北極星と呼ばれるのは、
地球の自転軸を延ばした先(天の北極)に、最も近い星に当たるからですね。

ところが、5000年ほど前の北極星は、現在のこぐま座の「ポラリス」ではなく、
もっと目立たない、りゅう座の「ツバーン」という星だったのです。
ゆくゆくは、白鳥座の「デネブ」や、こと座の「ヴェガ」も、北極星になります。
星が動くというよりも、自転軸の示す、天の北極の方向が、変わってゆくからです。

傾いたこまの回転軸が、くるくる首振り運動をするように、傾いた地球の自転軸も、
月や太陽の引力を受けて、少しずつ円を描きながら、約2万6年をかけて一周します。
「歳差運動」といいます。こちらをご参照ください。⇒「歳差」とは?

この影響を受けて、天の北極だけでなく、黄道十二星座の起点にあたる
春分点(天の赤道を、黄道が南から北に交わる交点。太陽が通過する日が春分)の位置も、
少しずつ、西の方向にずれてゆくのです。黄道十二宮が定められた、ギリシア時代には、
春分点は、おひつじ座にありましたが、現在では、西隣のうお座にあります。
そんな訳で、占星術での十二宮と、現在、黄道上にある12の星座には、
長い歳月をかけて、約1ヶ月のずれが生じたわけですね。

なんとなく・・・わかるような、わからぬような説明でしたが、こっそりお話すれば、
じつは現在、黄道上にあるのは、12星座ではなく、13星座なんですよ!
え~っ、いったいなぜ、どこに、どんな星座が入り込んだのでしょう???
その星座が、よく見える季節になったころ、お話したいと思います。
(いや、その頃にはとてもとても、星どころではないとは思いますが・・・)

星空を見上げて、ご自身の誕生星座を探すのも、面白いと思います。
いまの季節、日が暮れてから、夜明けまでに見えるのは、
場所や時間にも寄りますが、みずがめ座、うお座、おひつじ座、おうし座、
ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座? でしょうか?
真冬の夜には、あんまりお奨めできませんので、暖かい季節にはぜひ。

月や惑星も、ほぼ黄道付近に見えるので、水星、金星、火星、木星、土星は、
いずれかの季節、これらの12星座のどこかに、お邪魔しているはずです。
いま、おうし座にある、最も大きく最も明るい星は、木星です。
火星は、日の沈んだ西空に低く見えますが、土星は、午前2時を過ぎる頃、
おとめ座の端っこに昇って来ます。夜も更けると、春の星が主役です。
こうした惑星の位置も、人の運命に影響を与えるとされました。

すみません。今夜は、ちょっとお話がややこしく、本題を逸れてしまいました。
1月3日~4日深夜の、淡雪のようだった「しぶんぎ座流星群」についても、
書かせていただきたかったのですが、またの機会にしたいと思います。

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星の話は、なるべく難しい説明は抜きにして、季節ごとの星座や
天体の話題を中心に、もっとさらりと書きたいものですが、
ちょっと七面倒な「暦」や、二十四節気なども、星並びと深い関係があり、
月の満ち欠けを基準にした旧暦(陰暦)を、陽暦と併用しながら、
生活に取り入れた暮らしも、ご紹介できればと思っております。

伝統的な年中行事のほとんどは、天体の運行にあわせた季節ごとの祭りで、
どの国の民も太古から、星辰や日月と一緒に、暮らしているんですね。

ちなみに今日は朔(新月)。旧暦では、12月1日になります。
旧正月は2月10日。あとひと月もすれば、梅が咲き初めているでしょうか?

ではおしまいに、冬の王者「オリオン座」の、三ツ星の下で輝いている、
肉眼でも充分に観測できる、有名な「オリオン大星雲」(M42)の画像をどうぞ。
地球から1600光年の距離にある散光星雲。直径は、30光年もあるそうです。

中心には、「トラペジウム(台形)」と呼ばれる、オリオン座θ星(6重星)があって、
大星雲全体を照らし出し、この部分では、たくさんの星が生まれています。
オリオン座を見かけたら、この星雲も、ぜひ探してみてやってください。
位置などは、こちらをご参照下さい。⇒オリオン座大星雲

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