Dark night of the soul Secret path to the Light

流星・市民・革命
2012-11-26 Mon 22:45

【流星】

全天88の星座のなかで、もっとも豪快でダイナミックなのは、しし座。
いまなら日を跨ぎ、深夜ともなれば、東の空に駆け上がって来る。
北の空には、おおぐま座の北斗七星が、ししに負けじとぐんぐん昇る。
どちらも代表的な春の星座。3月の夜空に、天をめぐる獅子と大熊があらわれると、
後戻りできない季節の微動が、蛍光時計の秒針のように、しじまを伝わってくる。 

しし座流星群の強烈な光は、夜を泳ぐ素足のように潔く、遠慮がありません。
10年ほど前の大出現を体験していれば、いまでは物足りない限りですが・・・。

その夜は冷たく、よそよそしく、綿のような雲に閉ざされたまま、
星待つ人々をがっかりさせて、無念にも、布団に退却させてしまったけれど、
空の入江が開く深厚、むっくり起き上がり、庭に下りました。

冬のダイヤモンドの真下、今冬は木星が主役だね・・・やや、さっそく、
プロキオンからアルファルドに流れ、おうし座からかに座に飛び込む、
申し訳のように零れてくる星塵を、ぜんぶ独り占めしまして・・・ごめんなさい。

しし座流星群を見逃された方も、12月14日未明の、ふたご座流星群には幸運を!
1時間に約50~60個くらいの流れ星が見られるといいますが、それ以上かも。  
詳しくは⇒ふたご座流星群

なお、あまり知られていませんが、今月28日夜には、お月様に半影月食が起こります。
太陽の光の一部が、地球に遮られてできた薄い影の範囲(半影)に、月が入ることです。
肉眼での観測は難しいと言われますが、なんとなく月が暗くなったのが確認できるかも。
ご興味のある方はこちらを⇒半影部分月食


【市民】

23日は、しっとり雨の、落ち着いた秋の日でした。
街角の紅葉も、いよいよ終わりの風情を見せながら、 
まだもう少し、木枯らしの、ちょっとだけこちら側です。

地元の国際ホテルで、ピアノのコンサートがありました。
四半世紀ぶりというのも・・・なんだか嬉し恥ずかしな気分ですよ。
指先が震えてしまい・・・納得のできる演奏はできませんでしたが、
こうした文化活動が再開できたことは、幸せなことかもしれません。
小さな出来事ですが、弾くことは、生きることだからです。
こちらの曲です⇒秋のスケッチ


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このあと、倉敷市の美観地区まで、足を伸ばしました。
大原美術館の正面にある、ロダンの彫像がいいですね。
「カレーの市民」です。

オリジナルは6人の市民群像なのですが、ここには1体だけあります。
百年戦争当時のフランスの港湾都市、カレーの包囲戦の故事に由来するものです。

1347年。イングランド軍は海を越え、カレー市を一年以上に渡って包囲。
フランス軍は無力で、飢餓に瀕したカレーの市民は、降伏を余儀なくされます。
英国王は6人の市民に、おのおのが裸に近い姿で、首に縄を巻き、
カレー市の城門の鍵を引き渡しに、イングランド軍の陣営に出頭するように命じます。
残るカレー市民の命と引き換えに、6人を処刑するという意味です。

カレー市は、この市民の自己犠牲を顕彰する目的で、ロダンに記念像を依頼しました。
ところが完成した銅像は、やせ細った6名の市民が、絶望と苦悩の表情で、
首に縄を巻き、鍵を持ち、裸足で、城門を出てゆく、リアルな人間の姿でした。
輝かしい英雄像を期待していた人々は、あまりにも暗い、敗北の屈辱と、
死への恐怖に満ちた作品を理解できず、議論を呼び、除幕式は数年後だったといいます。

美術館前にあるのは、この6名のうち、城門の鍵を持ったひとり。
歩きつかれたのか、鍵の重さにか、力なく悄然と、前を見つめています。
彼ら6名は結局、英王妃の嘆願により、処刑を免れたのですが、
死を前にした従容とした姿に、心よりも、身体がじんわり汗ばむのです。
まるでその場に、自分が立っているかのように・・・

カレーの市民


【革命】

翌日24日は、ヘレン・カルディコット博士の講演会に出席しました。

カルディコット博士は小児科医として、核戦争に反対の立場を貫かれ、
放射線被害の問題では、世界的なパワースピーカーといわれます。
博士が創設した、「社会的責任を果たすための医師団(PSR)」傘下にある、
「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」は、
1985年、ノーベル平和賞を受賞しています。

このような地位と経歴を持つ医師が、自らの「責任」を果たすために来日され、
「人類史上最大の産業事故」である、フクシマ事故による放射能汚染の被害と、
日本政府の無責任な対応について、専門家として強い懸念を示されたのは、
フクシマ事故とその影響が、決して日本と日本人の問題にとどまるのではなく、
これ以上対応を誤れば、より多くの人々の生命が蝕まれ、北半球全体が汚染されてしまう、
深刻な事態であるとの認識からだということは、言うまでもないでしょう。

この日の講演には、県内外から300名超の人々が集まりましたが、
聴衆の約6割は、県外からの避難者・移住者の方々でした。
北は青森、南は熊本からも駆けつけて来られ、立ち見が溢れましたが、  
熱心にメモを取り、時間ぎりぎりまで、積極的に質問をされていました。

講演の詳細はネット上では書けないのですが、
原発問題に関心を持ち、放射能に関する基礎的な知識を身に付けて、
日頃から情報を収集しながら、危機意識を持っていれば、難解ではなく、
むしろ、それらの問題点の再確認や補強にもなったように思います。

しかし、いまでもまだ、放射線それぞれの特徴や、放射性物質の種類と半減期、
ベクレルとシーベルト、内部被曝、空間線量、生物濃縮、食物連鎖、汚染食品流通、
暫定基準値の盲点、汚染瓦礫焼却の危険性、4号機倒壊の危険性、核廃棄物の管理責任、
被曝による諸症状、発生する病気、福島の(とくに子供たちの)現状などについて、
関心もなく、知ろうとしないのであれば、多分チンプンカンプンだったはずです。

質疑応答についても、詳細は書けませんが、内容は重たかったです。
会場におられる大半の方は、放射能から命からがら、新しい土地へ避難して、
慣れない生活を送る方々。そのお子さんたちに、健康被害が見られるのです。
博士は、甲状腺異常については、早急に生検をするよう、勧められていました。

また、被曝の不安心理に付け込んで、いろんな説や商品が出回っていますが、
ペクチンなどが、放射能を体外に排出するという説には、科学的根拠がないと断言。

被曝が疑わしい症状を医師に訴えても、鼻にもかけられない。そんな中で、
著名な外国の博士の講演会に赴いて、子供の症状を伝え、助言をもとめる母親たち・・・
会場には医師の方もおられ、子供への対応について質問なさっていましたが、
被曝については、詳しく知らない医師が多いのが、現状だと思いました。

政府の援助による、被曝地からの避難をはじめ、
国際協力による、4号機からの燃料棒取り出しなど、
日本政府にも、国民にも、直接的な行動を呼びかけておられました。

カルディコット博士が、講演の最後に言われた言葉は、
「みなさんが、革命を起こすのです」というものでした。
決して物騒な、政変とか暴動などの、大袈裟な意味ではない、
お母さんと子どもたちが大切にされる、人が生きやすい社会を作ること。
私はそのように受け止めました。

それにはまずなによりも、福島をはじめ、被曝地に今も住んでいる子供たちを、
早急に安全な地方へ避難させることが、最優先されるべきではないでしょうか?
フクシマ事故の被曝によるガン発症の可能性については、いろんな説があるようですが、
やはり唯一の防御策は、予防すること。それには避難しかないからです。

温暖で自然災害も少ないからか、移住して来られる方々が、特に多い県ですが、
「晴れの国」とも呼ばれるように、県民意識は脳天気なもの。
原発事故など、有れども無きがごとき風情で、忘れ去られたも同然です。
そのような土地に、人知れず隣人として、市民・町民の一人として、
被曝から逃れた方々が暮らしておられ、故郷に残した人々に野菜を送りながら、
脱原発など眼中にもない、危険な候補だらけの、来月の選挙に臨むのです。

官邸前デモの中継を見ながら、いつも、中央と地方の格差に苛立ちます。
脱原発運動のなかにさえ、地方を軽視する意識があるのではないかと。
廃炉のほうに重きを置いて、放射能防衛は疎かになっていないか?
確かに、民衆の示威は必要で、権力の牙城は包囲すべきです。
しかし「革命」は、東京だけで成せるものでは、決してないでしょう。

奇跡的にも大規模な汚染をまぬがた、西日本の土地を死守すること。
それもまた、命を守り生かすための、地道な、終わりのない闘いです。
政治を変えることも必要ですが、革命とは、個々人の意識改革による、
ライフスタイル、ソーシャルスタイルの変革がなければ、不可能です。

原発からの脱却というのは、単なるエネルギーシフトではなく、
原発を生み、必要とする社会構造や、生活意識からの脱却でなければ、
自然エネルギーが中心になったところで、なんの意味もないからです。
太陽の照るところ、風の吹くところに、利権もシフトするだけではないか!

東日本から避難し、移住して来られた方々の、積極的な活動のお陰で、
あんまり好きでもなかった自分の故郷を、いまは見直しています。
この方たちが、晴れの国に、新しい風を運んできてくれたのです。
生まれ育ったホームグラウンドに根ざしてこそ、意味も成果もともなう、
自己満足ではない「革命」とはなにか、これからも模索したいです。

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秋の野花とピアノ
2012-11-13 Tue 00:50

今夜は、少し軽めの話題にしておきます。

昨年の、暮も押し迫った師走の夕・・・私は意を決して、
あるビルの前に車を乗りつけ、暗い階段を上りながら、
2階の一室から聞こえてくる、ピアノの音色に耳を傾けていました。

自分でも、なぜこんなことをしているのか、不思議な気持でしたし、
同時に、なにかに縋るような、切羽詰った気持でもありました。

昨年といえばもう、怒りや悲しみが込み上げてくる毎日に、
どこか、自分の気持を解放できるものを作らなければ、
ほんとうに、どうにかなってしまうのではないかと・・・。
そんなとき、ふと聴いたショパンの曲に、魂を揺さぶられて、
子供のころに習っていたピアノを、30年ぶりに再開してみようかと、
大それた思いつきで、大人のピアノ教室を訪ねたわけです。

デジタルピアノを購入し、月、2回のペースでレッスンを続け、
気が滅入っているときには、何日も弾けなくなるけれど、
お若い先生にご厄介をかけながら、はや1年になろうとしています。

今月の末には、教室で習っている大人だけを対象とした、
ウィンターコンサートがあり、参加させていただくことになりました。

いま練習している曲から、一曲お贈りいたします。
辻井伸行さん作曲、演奏の。ロックフェラーの天使の羽です。

サフラン

これは、クロッカスに似ていますが、サフランの花です。
毎年、11月の中ごろになると、かならず咲いてくれます。
もともとは私が、幼稚園で水栽培をしたときに、もらった球根。
それを家に持ってかえり、母が裏庭の片隅に植えてくれたら、
以後40年以上、つつましく、ひっそりと、秋を彩ってくれるようになりました。
願わくば、わたしが死んでも、変わらぬ姿でいておくれ・・・

かき

サフランの真上を見上げると、柿が、鈴なりどころではありませんなあ。
こちらも毎日のように、色づいた照葉が、錦の絨毯を敷き詰めてくれるのですが、
早く獲って、吊るし柿にしてあげてと・・・老親に説得されつつも、いつになるやら・・・

過夏草 過夏草2

秋色のトレニアですね。
夏菫と言われる、目に爽やかな紫の花が、群落のように、
庭のそこかしこに生い茂りますが 私にとってトレニアといえば、
「過夏草」とも呼ばれる、晩秋の風情がなによりも好きです。
野菜のような緑だった葉も茎も、深い、美事な銅色に染まり、
秋の実が揺れるころ、虫たちの最後の声とともに、朽ちてゆく。
その終の姿まで見届けながら、こぼれる種に姿を変えて、
土の中で冬を過ごし、来年の夏、また会えるのが楽しみなのです。

ほととぎす

秋の山野草といえば、杜鵑(ホトトギス)は欠かせません。
若い頃、この花はなんだか地味すぎて、好きではなかったけれど、
茶花をはじめてから、杜鵑をはじめ、水引や芒(ススキ)、
野菊、秋明菊、藤袴、千振(センブリ)、蓼(タデ)などなどの
素朴な秋の野草の魅力に、いまでは夢中になっております。

あさがお

Cold Clear and Blue・・・ 
冬の朝空の形容を、どのように訳しましょうかな? 
「さわやかに、すみて、あおき・・・」
「さえざえと、すみわたり、あおあおと・・・」
「さむざむと、くっきり、あおい・・・」
学生のころ、悩んだものですよ。
晩秋の朝空を、そのまま映すような、西洋あさがお。
いや、煌く夏の名残であろうか・・・でもいまでは、
朝があんまり寒いので、お昼前にやっと開き、
夜になっても咲いて・・・人みな眠る夜に、星と語るのだね。

では、秋の夜長にもう一曲。
ウィリアム・L・ギロックの『叙情小曲集』より
まぼろしの騎士、魔女の猫をどうぞ

別窓 | flowers & blossoms
NO NUKES! 歴史への責務、希望への問いかけ
2012-11-09 Fri 15:19

NO NUKES! 
日比谷公園の使用ができなくなろうと、原発反対の声はやまないぞ。
日本だけでない。世界各国の抗議運動と連帯しよう。

NO NUKES! 
原発に反対するとは、文字通り、核兵器に反対することだ。
廃絶に向けた、手段や過程は異なるとしても、
論理においても、道義の上でも、両者を区別したり、分断することはできない。
原発と核兵器の、どちらかはOKなど、ありえない話だ。

全世界のヒバクシャだけでなく、人類の悲願でもある、
核廃絶への道のりが、どれほど険しいものか・・・

先月になるが、軍縮や安全保障問題を扱う、国連総会の委員会で、
34カ国が、核兵器の非人道性を訴える、共同声明が発表された。
核兵器の影響は、広範囲にわたり、将来世代への脅威ともなり、
国際人道法上の問題になり得るという、至極当然の道理を訴えている。
「全ての国は核兵器を非合法化し、
核兵器のない世界に到達する努力を強めねばならない」。
核廃絶へ向けての、各国の積極的な取り組みを、いっそう促す内容だ。

日本はこれまで一貫して、「核兵器廃絶決議案」を提出してきた。
ところが今回は、この声明への参加を求められながらも、拒否したという。
「わが国の安全保障政策の考え方と、必ずしも合致しない内容が含まれていた」
(風間直樹・外務政務官、19日、参院行政監視委員会)というのが理由だそうな。

この矛盾が過ぎる態度には、国内でも批判は出ているのだが、
報道も含めて、余りに消極的というか、まあ一応は言っておきました、
書いておきました、無視するよりマシでしょ、といった程度のものだ。

「核廃絶を訴えながら、非合法化に同意できないでは、国際社会から信頼されない」
「唯一の被爆国である日本が、先頭に立つべき仕事ではないか」
「いつまで、アメリカにおもねて、主体的な判断ができないんだ」
「被爆者の願いを、踏みにじる行為だ」
「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマを経験して、まだ目が覚めないのか?」

どれもその通り。けれども疑い深く、苛立たしい気持はおさまらない。
この国には、核廃絶の意志なんて、ほんとうは無いのではないか?
日本は、本音では、核兵器を保有したがっているのではないか?
将来的には、核武装だってありうるかもしれない・・・

どうだろう? いまでは、荒唐無稽とも言えないだろう。

非核三原則は、守られてきただろうか?
毎年8月6日の、広島市長の「平和宣言」は、いつでも
翌朝の読売新聞で、ボロクソにけなされているではないか。
平和憲法など、いまや憎悪の的となり、廃棄寸前ではないか。
核武装なんて騒いでいるのは、一部の右翼だけなのか? 
安倍が執念を燃やす憲法改正も、そういう流れのひとつだろう・・・

将来的な、核保有の可能性まで踏み込まないで、どうするんだ。
そんなことは、いまでも、口にしてもいけないことなのか?
どれほど疑っても、失礼ではないし、疑い過ぎることもない。
国民の声として、率直に、執拗に、問い続けるべきだと思う。

毎年8月、原爆忌を中心に、炎天下の広島平和公園で、
「さだ子と千羽づる」という絵本の朗読公演をしている、作家の山口泉さんは、
カタールの衛星テレビ局、アル・ジャジーラの取材を受けた時の様子を、
次のように記している。

・・・・・・弾き了えた私に、特派員は言いました。
その言葉を聴いたときの、体温が下がるような感覚を、私は生涯、忘れません。

「中東は、いずれ必ずアメリカからの核攻撃を受けるでしょう。
 しかし、ヒロシマ・ナガサキは、核攻撃を受けたそのあとでも、
 人間が故郷を復興できるという『希望』の象徴です。
 その『希望』を中東の人々に伝えるため、わたしたちは日本を訪れ、
 ヒロシマ・ナガサキを取材しているのです」。

この切実な“核戦争後の「希望」”の痛々しさと、私たち日本人とが、
ただちには通じ合えない、絶望的な理由とはなにか?
 (山口泉『原子野のバッハ 被曝地・東京の三三〇日』)


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言葉もない。一瞬、心が、唇が、凍りつくようだ。

山口氏が取材を受けたのは、2003年。イラク戦争の年だ。
その後、2009年にアメリカ大統領となったオバマ氏は、
「核兵器なき世界」の実現に向けた取り組みが評価されて、
ノーベル平和賞を受賞している。だが、ぬか喜びはゆるされない。
そんなことは絶対にさせまいとする、巨大な力は侮れない。
あらゆる口実で、「敵」を作り上げてまで、戦争をするのだから。

「中東は、いずれ必ずアメリカからの核攻撃を受けるでしょう」。

この世界に、起こりうる悲惨な未来から目を逸らさずに、
核による滅亡と、そこからの再生に希望をつないで生きている
そんな人々がいることを、日本人は、どう受け止めるのか?
アメリカの、忠実な「同盟国」の人間として・・・

さらに付け加えれば、多くの指摘があるように
日本を「唯一の被爆国」と呼ぶのは、いまでは間違っている。
イラク戦争でも使用された劣化ウラン弾は、核爆弾と同様の
被曝による放射線障害を、イラクの人々や、米軍兵士にさえ与えている。
イラクにも、戦争によるヒバクシャは大勢いるのだ。
それなのに、「唯一の被爆国」は、その戦争を支持した・・・

中東のテレビ局が、「希望の象徴」として訪れた、ヒロシマとナガサキ。
しかし、2011年3月11日のフクシマ事故と、それ後の日本の惨状は、
彼らの「希望」など、打ち砕いてしまったのではないだろうか?  

「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という誓いは、
決して偽りではなかったが、ついに守られることはなかった。
日本はいまや、「唯一の被爆国」どころか、わが国土のみならず、
東アジアと北太平洋の、広大な空と海まで放射能で汚染した、
核の加害者になったのだ。この重大な罪責を、どう考えるのか?

「70年間は草木も生えない」と言われたヒロシマは、たしかに
緑豊かな国際都市として甦った。焼き払われた他の都市もおなじだ。
だがそれは、あるべき復興だったのか?真の希望の姿なのか?
アメリカの「核の傘」の下で、朝鮮戦争やベトナム戦争に乗じて、
復興への道を歩み、世界第2位の、経済大国になったことが・・・
どこかに欺瞞や、矛盾を抱えていることを、だれもが感じていたはずだ・・・

戦後日本に原発を導入した政治家、中曽根康弘が、広島の原爆雲を見て、
「このとき私は、次の時代が原子力の時代になると直感した」と回想しているのは象徴的だ
(朝日新聞、2011年7月17日「原発国家」)。
中曽根は広島の原爆雲の下に広がった地獄絵を想像するよりも、
日本が「原子力の時代」に乗り遅れてはならないと考えた。
この時点での「原子力」が原子力発電ではなく、原子爆弾を意味していたのは明らかだろう。
(高橋哲哉『犠牲のシステム 福島・沖縄』)


これが、「唯一の被爆国」「平和国家」「憲法9条」という
偽りの仮面に隠されてきた、戦後の日本国家の原点だと思う。
そうあってほしくはないが、そうだったのだ。

被爆国・日本には、戦後より一貫して、「核」への執着があった。
実際に保有しなくとも、願望と意思はあり、可能性は検討されてきた。
「自衛のための必要最小限度の範囲内にとどまる限り、
 核兵器の保有も憲法上、禁じられていない」というのが、政府の見解だ。
日本政府には、「核」に対する、絶対的な否定の意志は無い。
国民の反対は「原子力アレルギー」と呼ばれ、病気扱いされてきた。

核を保有するとは、恐るべき非人道的なふるまいである。
国家の安全保障を、核の破壊力に頼ろうとするエゴイズムがあるかぎり、
つねに世界は不安と緊張に曝され、未来は奪われたままなのだ。
そればかりではない。
国家でさえ「核」を管理できないような局面が、現れつつある。

日本は「核被爆を体験した国」として、イデオロギーに分断されることなく、
反戦・反核のリーダーシップを担うのが、歴史的な責務でなければならなかった。
アメリカに対して、核の非人道性と、原爆投下の加害責任を認めさせるべきなのだ。
しかしいま、欺瞞を溜めに溜めこんだ国は、国際社会からすっかり信頼を失ってしまった。

戦後67年を経てなお、周辺国との間に友好どころか、紛争の火種を撒く。
原子力事故を引き起こしたあげく、放射能汚染のなかに自国民を見棄てて、
子供たちの生命さえ、レベル7超といわれる核災害から守ろうともしない。
にもかかわらず、歴史を軽んじ、東アジアに深刻な緊張をもたらし、
原発まで維持しようとする極右の面々が、非難どころか、絶大な支持を集めている・・・

日本国憲法が「押し付け」かどうかなど、どうでもいいことだ。
それよりも、国民の大規模な反対を押し切って結んだ安保条約や
沖縄をはじめとした米軍基地こそ、正真正銘の押し付けではないか。
「日米同盟」強化のために、平和憲法を改悪しようとは、どういう了見なのだろう。

そんな国に核武装論が台頭するのも、不思議はないだろう。
彼らの主張たるや、いかにお粗末な打算や、怨念に過ぎない空論か・・・・
紛争や外交を有利に運ぶ手段や、「抑止力」としての、核の力に頼るなど、
「この世の正義とは暴力だ」という力の論理に、浅ましく屈しているだけだ。
やりきれない、ほんとうに恥ずかしい。それどころではないだろう。

国際社会の監視のなかで、核開発など簡単にはできないといっても、
核廃絶を訴える仮面の下で、核保有の「願望」を持つだけでも、
国の根幹を蔑する、国民と国際社会への、重大な背信ではないか。
「核の平和利用」を標榜する原子力産業が、国民には明らかにされていない
核政策や軍需産業と結びついていないとは、もうだれも考えないだろう。

アル・ジャジーラの訪れた広島では、今日、どんな風景が見られるか?
8月6日、広島の街には、核武装推進と排外主義を叫びながら、
日の丸を振りかざしてデモ行進する、右翼の罵声と怒号が響きわたっていた。
その様子を間近で見ながら、あまりの殺気に血の気が引いてしまった。
フクシマ事故後のヒロシマには、無残なる精神の瓦礫があった。
目を背けないでほしい。日本はもう、ここまで来たのだ。

政府の欺瞞や右派の攻撃をものともせず、
戦後日本の民衆が守り抜いてきた平和憲法と、反戦反核の理念を、
嘲笑するような平和ボケ、若い世代の軽佻な意識を侮ってはならない。
核兵器と原子力発電の問題性を、わざと切り離して考えるのも間違いだ。
なにを躊躇し、なにに遠慮して、真っ当な物言いができないのか?

「中東は、いずれ必ず、アメリカからの核攻撃を受けるでしょう」。

その核攻撃を、同盟国・日本は苦渋に満ちて、支持することになるのか。
そんな国のどこが、「核戦争後の希望」になりえようか!
逆に日本人こそ、この重い言葉に、真の希望を手探りすべきだろう。

諦めではなく、冷徹な現実認識。
絶望ではなく、抗暴の意思、峻厳な告発。
破滅すら予想される未来を見据えながら、暗闇に耐え抜く人間精神。
核の暴力に勝利できる、唯一のものが何かを教えられるだろう。

日本人にとって、反原発・反核の闘いの、歴史的な責務とはなにか?
真の希望はどこにあるのか?これは、日本だけの問題では、決してない。
アル・ジャジーラの言葉は、そのことを日本人に問うている。

被害者意識を拭って、私たちは、いまいちど省みるべきだ。  

ヒロシマ、ナガサキを体験したはずの日本人が、
なぜ、フクシマ事故という核の暴力を、ついに引き起こしたのか?

このままでは日本は、ふたたび、みたび、核の加害国になりかねないだろう・・・

「日本では、いずれかならず、第二の原発事故が起きるでしょう」
「日本は、いずれかならず、平和憲法を廃棄して、核武装するでしょう」


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