Dark night of the soul Secret path to the Light

牝牛のミルキーウェイ
2012-10-30 Tue 22:41

樹木だけでなく、足元で秋色を装う草紅葉も、いとおしい。
秋の野花を生けるには、備前の一輪挿しが似合うと思う。
今度の休みには、なにか探しに、街まで足を伸ばしてみようか・・・

十三夜の「栗名月」は、雨で逸してしまったけれど、
今夜はよく晴れている。木枯らしの、まだこちらがわです。
春の夕べのように、しっとりした星月夜です。

10月の、陽が沈んだあと、うす明かりが残る、
真西の空に低く、ぽつんと見えていた、小豆のような星。

うしかい座の1等星、アークトゥルス。 
日本では、麦を刈る頃の、宵の空で輝くため、
「麦星」と呼ばれたり、梅雨のころにはちょうど、
真上に見えるため、「五月雨星」とも呼ばれるとか。
和名にも、なかなか風情があるんだね・・・

春先から秋の終わりまでかけて、天のいちばん高いところを、
ゆっくりと旅する、太陽の100倍も明るい、赤色巨星。

ある伝説によると、うしかい座の牛飼いどのは、
「兄弟に追放されて、世界中をさまよいながら、
 馬車や鋤などの、役立つ道具を発明した巨人」だとか。

だからかもしれないけれど、この老いた赤星を見ると、
若い牧夫よりも、やや腰をかがめて、物思いにふけりながら歩く
ソクラテスのような老哲人の姿を、イメージしてしまうよ。

星のひとつひとつに、想いがあるとしたら(あると思うよ)、
天から地上の、放射能汚染列島の狂態を見下ろしながら、
今年はどんな思いを携えて、最後の一瞥をくれたのだろうか・・・

河の向こうの、黒い山影に沈んでゆく、わびしげな姿に、
地の底からこみ上げるような悲しみが、胸いっぱい溢れてしまう。
アークトゥルスが西に消えると、いよいよ冬も間近だな。

赤い星といえば、アークトゥルスよりも南西の空低くに、
さらにひっそりと、さそり座のアンタレスが落ちていった。

「さそりの心臓」とも呼ばれる星。
直径が、太陽の700倍も大きな、赤色超巨星だそうな。

アンタレスは、夏の間、南の空を低く渡ってゆく。
見える期間も短いが、今年は10月を通して、
アンタレスの近くに火星が近づき、しばらくの間、
日没後の空低くに、ふたつの赤い星を、かすかに、
うっすらと、確認することができた。

もともと「アンタレス」とは、アンチ・アーレス。
戦の神アレースの名を持つ火星に、対抗する者という意味だ。
漢語では「大火」と呼ぶのも、火星と競うように、燃える赤の、
妖しげな印象からだろうか。たしか、不吉な意味合いもあったはず。

アンタレスが姿を消したあとも、火星だけはまだまだ
いて座に入り、やぎ座、みずがめ座にお邪魔しながら、
3月まで西の空で、沈むまいと頑張るわけだ。
他の星のあいだをすり抜けてゆく、不思議な動きが、
「惑星」とも「遊星」とも、呼ばれるゆえん。

今年は、旅する火星が、黄道に次々と描く星文様が、
季節ごとの夜空を、なかなか楽しませてくれもした。
星好きの子供たちには、格好の観測材料でしたな・・・


誕生星座だからでもないが、アンタレスの季節がいちばん好きだ。
もっとも好きな星座は、さそり座とともに、いて座でもある。
ここに落ちてくる天の川は、全天で、もっとも深くて濃い広がりを持つ。
天の川銀河の中心が、いて座の方角にあるからね。

市の中心にある自宅からは、天の川など、もちろん見えない。
2等星が、ようやく見えれば上等な、すさまじい光害の街。
いて座の目印となる「南斗六星」も、肉眼ではほとんど見えない。
位置を確認するには、双眼鏡が必要になってくる。

それでも3月の夜明け、東の空に、いて座が昇るのが待ち遠しく、
梅雨の頃には、なかなか晴れない空が、悔しく、恨めしく、
短い夏の夜には、逢瀬を楽しむ恋人のように、心が満たされ、
夏銀河の沈む、秋の終わりには、最後まで姿を追い続ける・・・
真冬には、太陽こそが、そのよすがとなる。

まこと、どうかしている・・・銀河の中心への憧れ。
あすこへ行きたい、理解不能な、罪も害もない執着。
なぜだろうね・・・こんなに切ない、懐かしさを感じてしまうのは・・・

銀河1


・・・・牛を殺すわけにはいかない。
生きていれば、乳がはる。ほおっておくと乳腺炎になるのだ。
かいわいそうだから毎日搾乳してやるわけだ。何缶も何缶も牛乳がたまる。
線量はわからない。線量なんてもう測らない。どうしようもない。
値がいくら低くたって、だれも買うわけがないのだから。しかたがない。
もうは、どうすようもねえべっちゃ。めちゃくちゃだ。
んだからよ、夜、牛乳を川さ運んで、何缶も何缶もドボドボドボと流してしまう。
乳を搾っては、夜、川に流す。牛乳は脂肪分があるので川面に浮かぶ。
川面がまっ白になってしまう。夜がすっかり牛乳くさくなる。
月光に川面が白くてらてら光る。一面の妖しい川明かりだ。
「川さ、乳な、牛乳ば全部流すんだよ。
ふふふ、天の川さ、ミルキーウェイだべさ。
いままで、なぬやってきたんだべ・・・・・・」。
(辺見庸『明日なき今日』。「3072日の幻視」より引用)


なんてことだろう。ゆるせんよ。

・・・そういう天の川が・・・あったのか。

圧倒的な、幻視なんだ。白く濁った目の・・・
空想でも、心象でも、フラッシュバックでもなく・・・
五感や脳髄が、役に立たないほどの・・・おそろしい

この人は、サソリが顔の上を這う、赤い砂漠に寝転がって、
「星々が音もなく、空中で爆発するのをながめながら」
不意に、天の川の水底の奥まで、のぞいてしまったんだな・・・

ミルキーウェイ?天の川だって?

でも、わたしには見えない。その異様な、白濁した川の流れが・・・
そのかわり、どぼどぼヘンな水音が聞こえてきて、人だかりがしている。
牛乳の川明かりは見えないで、あれだよ。

川に落ちた、いじめっ子のザネリを助けるために、
カムパネルラが飛び込んで溺れたあの川の、土手の上で・・・
息子の捜索を、なぜか早々に諦めた父親が、「もう駄目です」と、
きっぱり言う声が聞こえ、川岸にいくつかの灯が揺れている・・・
寒々しい風景が、いやでも重なって、なかなか頭を離れない。

21世紀の、牝牛の乳を流した、ミルキーウェイ。
いったいだれがザネリで、だれがカムパネルラで、だれがジョバンニで、
ジョバンニやカムパネルラの父親は、だれなんだろうね? 
嬉しいことか、困ったことか、ほかの役者も、みんな揃ってるし、
ストーリーなんか、出来過ぎてるくらいだから、
宮沢賢治の童話には、やっぱりぞっとしてしまう。

もう、いい加減にしてほしいんだ。

自然エネルギーの太陽だって、核融合で燃えてるんだから、
やっぱり核の利用なんだし、なんで原発だけが悪なのかとか、
放射能なんて特別じゃない、宇宙には、いっぱいあるんだとか、
交通事故や餓死でも、死ぬときには死ぬんだとか、そういう話はね。

・・・・・・それとこれとでは、違う。どう違う?
天と地では・・・自然と人工では・・・ああもう、
放射線とか、放射性物質とかじゃなくて、こういうこと。

生命とはじつは、放射線など、物ともしないほど頑強で、
どんな環境にも適応し、都合よく突然変異して、さらに進化を続けながら、
目的もなく執拗に、ただ生き延び、殖え続けてゆくだけの代物なのか?
人類は、人工放射能を浴びて、宇宙時代のミュータントになるって?

それとも、地球環境やすべての生命は、ある目的のために作られ、
ある摂理のなかで維持され、してはならないことを、しでかしたり、
あってはならないものを、作り出したりしたならば、そのときは、
その責任を引き受けて、宇宙の法則の下に、滅し去られるべきものなのか?

どうなんだよ・・・

ただ、何としても生きぬけば、いいものではないと思うし、
命懸けで、愛する者を守り通せば、それでいいものでもない。

人の命や愛でさえ、服さなければならないものがあるはず。
それが、神への畏れではないだろうか?

モアイ


ところで、きのうは、46回目の誕生日でした。
両親と暮らす家では、他の日とおなじように過ぎていった。
感慨というようなものは、あるようでない。しかし、
年を重ね、老いることへの嫌悪感は、みごとになくなってきた。

いつまでも若々しいことだけが、素晴らしいのではない。
40代にもなって、でしゃばるなど、みっともないだけだ。
若い世代に、侮蔑される存在であってはならないと思う。
言葉にも人格にも、重みのある人間でありたいと願う。

高度成長時代に生まれ、バブルの頃に青春を謳歌した
・・・甘えきった、どうしようもない日本人、愚民の世代。
日本ではじめて、原子炉にの火が灯ったのも、1966年らしい。
原子力の申し子でもないが、知らぬまま、ともに歩んだ人生。

史上最悪の、メルトダウン事故のさなかに、
外国人から礼儀や秩序正しさを誉められて、
「日本人に生まれて良かったあ」と、今でも感動しているとしたら
・・・私は、心の底から恥じます。

連日連夜、悪夢に苛まれた。あのころは被災地から、
遠く離れた西日本で、手術のために入院中だった。
身体の一部を失うことで、いのち拾いをした。

なんともいえない。気が変になりそうだった。
生きることを許されたのだから、なにかしないではいられない。
これまでの自分のままでは、
・・・・・・人間として、ダメになってしまう。
緊急時には役立つかと、介護の勉強にも通ってみた。


3.11は、はじまりに過ぎないと思う
この国はますます、あって欲しくない方向に、転げ落ちるだろう。

10年後の自分や世界が、どうなっているか?
どこに住み、なにを食べ、なにを着ているのか、
どんな仕事をしているのか、家族や、友人知人は無事なのか・・・
生きていられるだろうか?どんな風に死んでゆくのか?
暗すぎる未来に、気が滅入ってしまう。

音もなく、世界は崩壊している。
みんな薄々と感じながら、気がつかない振りをする。
プラス思考という、眉唾な希望に縋りながら・・・

持てる者は、競って奪いつくし、ますます富み栄え、
持たざる者は、死ぬまです奪いつくされ、共食いする世の中。
いまだってそうだけど、それが世の掟、道理となる。

けれども、そんな世の中でも、もっとも抑圧され、
差別され、侮辱され、貧しく小さくされた人々ほど、
文句も言わず、誰も恨まず、逞しく、明るい笑顔で、
生かされていることを、感謝しながら、毒物を食べてしまい、
一生懸命に働き、健気に子供を産み育てながら、
世の矛盾をのみ込んで、過労死や事故死、孤独死、虐待死、自死、
被曝死、餓死、凍死、熱中死、病死・・・してゆくんだろうな。   
そんな魂を癒し、救ってくれる宗教やスピリチュアルも、花盛りだろう。
生も死も商売道具、胎児から死者までも購買層なのだから。

私が大嫌いなのは、そんな残酷な、虚偽の生活、奴隷の幸福。
人として、こんな無様な生き死には、絶対にしたくない。
たとえ餓死や孤独死したとしても、精神だけは犯されたくない。

「世界の終わり」さえ、すっかり消費されつくされる。
しかし・・・・・・

「世界」は存続する。なぜ滅びないのか・・・・・・こんな世界が。
医師は、ことさら快活な調子で宣告した。
「あなたは病気です。『希望病』という・・・・・・」

・・・・・・「不潔な噂」「忌まわしい噂」「ほんとうの噂」が流れている。
まだ、戦っている者が・・・・・・いまなお、
抵抗を諦めない者が、いるらしいという。
いま、この風景のなかに、たしかに、なお抵抗を続けている者がいる。
そしてその事実を、世界のすべてが否認しようとしている。
(山口泉『悲惨鑑賞団』。「絶望軍」より引用)


銀河2





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コスモスの花宇宙
2012-10-17 Wed 15:45

毎年この季節は、訪問させていただくブログの多くが、
コスモスの写真や話題でうもれ、秋の想いが伝わります。
そこで今回ははじめて、お花の話題を・・・

コスモスは「秋桜」とも呼ばれ、澄んだ空の下で
風にゆられる可憐な花は、日本の風情そのもの。

わが家にも、コスモス畑があるのですが、
畑の片隅に、もう20年以上、自生しているものです。
夏は厳しく、天水以外は、日照りにさらされたままです。
しかしなんの、毎年、背丈を越えるほど成長し、
秋になると、みごとなコスモス畑が、出現します。

花言葉は、「乙女のまごころ、愛情、たおやかさ」ですが、
私には野性味あふれる、「強い花」というのが実感かな。

原産地は、メキシコの、標高1700mにもなる高原地帯。
土地は痩せている上に、強風にさらされる環境です。
葉が、糸のように細いのも、乾燥から身を守るために、
水分の蒸散を防いだり、強風にも倒れない工夫だそうですが、 
倒れても、そこで根を張って生き延びる生命力があります。

倒れたコスモス
これは倒れたコスモスですが、この通り元気なものです。
背が高くなりすぎた株を摘心して、横倒しに固定し、
わきから出た枝を、上に伸ばす方法もあります。


ところで私は、この可憐なる花が、
なぜ「コスモス」と呼ばれるのか、不思議でした。

「コスモス」とは、「宇宙」の意味でもあるから、どう繋がるのか?
ずっと疑問でありながら、とくに調べて見もしませんでした。
もっと言えば、なぜ「宇宙」を「コスモス」を呼ぶのか?
そちらのほうが、最初の疑問だったのですが・・・

はじめて、宇宙が「コスモス」であることを知ったのは、
カール・セーガン博士の、「COSMOS」のタイトルからでした。
ちょうど中学生の頃でもあり、ずいぶん気恥ずかしい想いで、
ではspaceとは、どう違うのかと、悩んだりしたものです。

まず、一般的な知識から入ってみると、
ふつう私たちが「コスモス」と呼んでいる花は、メキシコから
スペインに渡り、「Cosmos bipinnatus」と名づけられた品種のようです。
Cosmosの由来となった、ギリシャ語のκοσμοςという言葉は、
哲学的な意味での、秩序、調和、美しさ、宇宙などを、表現するそうです。

花の本などでは、「美しい(花飾り)」の意味で名づけられたと
説明されていますが、一方で、種小名のbipinnatusのほうは、
「二回羽状の」という意味で、細かい羽状の葉の形に由来するそうです。

8枚の花弁が、放射状に広がる、薄い花びらにも
細い筋がまっすぐに伸びる、整然とした印象もそうですが、
もつれやすい糸のような葉も、よく見ると羽のような形をして、
葉脈のように、左右に分かれ、伸びているのがわかります。
こうした花や葉の細部に見られる、美しい調和ある作りが、
「コスモス」なる由来ではないかと、思ったりもしました。


だがしかし、では「宇宙」はどうなるのだ・・・。
コスモスと宇宙は、結びつかないのだろうか?
仏教では「蓮(ハス)」が、宇宙のシンボルに用いられますが、
蓮に比べれば、コスモスはシンプルで、神秘というほどでもないし・・・
ピンク色というのも、深宇宙のイメージとは、ほど遠いし・・・
う~む、なんとなく不満なのであります。

コスモス4


でも、もしかすると・・・・
ここからは、勝手な想像の世界です。

現代人にとっての宇宙とは、限定的な意味でしかなく、
地球の周りに広がる、観測や探査ができる範囲の、
商業や軍事に利用できる、未開発の「空間space」に過ぎません。
地上と同じくらいゴミだらけで、汚染されてもいます。
(そのうち宇宙でも、戦争をはじめるのかも)

けれども、古代の人々は、たとえ地球が宇宙の中心だと
間違って信じていたとしても、べつに問題なく、
私たちのいう星空は、すなわち天界でした。
人も星も含めた、森羅万象の、あらゆる存在と事象、
過去から未来までの、すべてをつつむ、果てしない時空間こそ
「宇宙」であると、意識されていたようです。

そして「宇宙」とは、混沌(カオス)ではなく、
多様複雑でありながら、あらゆるものが互いに関わり、
霊妙に調和して、ひとつに結ばれる、美しい秩序ある世界。
それが「コスモス」であるとのことです。

天界にしても、星は夜空に、ただ無秩序にあちこち
ばら撒かれているように見えながら、北極星を中心に、
すべての天体が、厳然とした運行に従い、そのなかに、
太陽と月の、通り道も用意され、時空を支配しています。
季節と歳月がめぐるのも、そのおかげです。

花のコスモスに、話が戻りますが、もしかすると
この花のひとつひとつが、星ではないだろうか?

コスモスが、一株ですらりと立っている姿を見ると、
樹のように、バランスを保って、左右に枝が分かれ、
真上から見ると、きれいな円の広がりになって、
それぞれの細い先に、ほんのり花がついています。 

花は、下から見てもスマートで、
緑色の総包と、つぼみを包んでいた、薄い総包は、  
花びらと同じ数で、8つに分かれた星状をしています。

規則正しい配置でもなく、あちこちに散りばめられ、
そこはかとなく揺られながら、ひとつに結ばれ、
大地に根を張った、強い生命力で、次々に花ひらく。
その様子が、まるで天に綾なす、星文様のように、
意味ありげでもあり、親しげでもあり・・・
シンプルな中にも、美しいハーモニーがあふれる・・・
そんなイメージが、「コスモス」なのかもしれません。

コスモス3

コスモスの秘密を、もう少し探ってゆくと・・・
この花はますます、美しいと思えてきます。

中心の黄色い芯の部分は、小さなつぶつぶがあったり、
花粉をつけた黒い柱が、周りを取り囲んでいたり、
ほとんど、花粉だらけになったりしていますが、
よく見るとそのなかに、先端が五つに割れた、
小さな星の形をした花が、いくつも開いています。
じつは、このひとつひとつが、コスモスの花です。

ピンクの花びらは、舌状花とよばれる花で、
コスモスの場合は、おしべもめしべもありませんが、
鮮やかな色によって、花粉を運ぶ、昆虫類を招きます。

中心を囲む小さな星たちは、筒状花と呼ばれ、
黒い柱の部分がおしべで、先に花粉をつけています。
その上にある、ふたつに分かれた部分が、めしべです。
つぶつぶは、まだ蕾の状態で、周りから咲いてゆきます。
筒状花を数えてみたら、なんと、80~100個以上ありました。
 
光を放つよりも、纏うような、つつましく、繊細な星の花たち。
それを包んで、光を集め、生命を招き、媒介する花飾り。
可愛い球状星団のようでもあり、渦巻きの銀河のようでもあり、
このシンプルな霊妙さこそ、花本来の「コスモス」なのかも・・・
と、花粉にまみれ、カマキリに悲鳴をあげながら
ひとりで勝手に、納得した次第であります。

それは、どの花もおなじ。花好きな人でもふだんは、
漠然とした色や形や香などの、好印象しか見えないものですが、
細部まで観察してゆくと、あまりの完璧さに息をのむほどです。
ひとつひとつの花たちが、地上に輝く星そのもの。

こんなことは、大人よりも、子どもたちのほうが
はるかに、素敵な答えを見つけてくれるのですけどね・・・

PA130570.jpg

コスモスも最近では、いろんな種類が開発されて、
豪華な八重咲き、花びらがシェル状になったもの・・・
これがコスモスかというほど、様変わりしてしまい、
秋の花、色はピンクや白というのも、
「もう昔の話」といわれるのは、なんだか淋しい限り・・・

花も商品とならば、季節を奪われ、魅力的に仕立てられ、
大量に作られては、売られて、捨てられる物品なのです・・・
花への暴力は、人への暴力なのかもしれない。
一方では、稀少な花を絶滅から救うための、研究もありますが
・・・それも結局は、何のために、という思いがあります。
花も野菜も、いずれ工場で作られるようになるとしたら・・・

ともあれ来年は、カオスな畑を、ぜひコスモスに・・・
少しは丈を抑えて、花数を増やさせ、
その間に、キバナコスモスも植えてみて、
たおやかな、星の花園を作ってみたいと・・・
たぶん、できもしない計画を、思い描いています・・・

別窓 | flowers & blossoms
青空の記憶 
2012-10-12 Fri 23:36

晴天のつづく、穏やかな秋の日々ですね。
青々と、澄みわたる、深い空を、思い出しながら、
韓国の詩人、高銀(コ・ウン)氏の詩を、ご紹介いたします。

蒼 空

おお、蒼空。
ただの空ではなく、ぼくらの
肉体が引き裂かれる、その痛みであることを。
このまま四、五千年、
降り注いで来ない、空ではないことを。
今日、「恨」さえ祓えぬ、ぼくらにとっては、
胸つまる痛みの、富であることを。

おお、蒼空。
大きな眼を凝らし、ぼくらが即ち、空であることを。
そう感じさせる、南北何千万、
ひとつの民族の、痛みであることを。
蒼空のなかに、ぼくがいると、切にそう感じさせる、
高麗のこの大地。
方々隅々を埋め尽くす、その痛みであることを。



6年ほど前、半年ばかり、韓国留学を経験しました。
日本人の少ない地方都市は、自然にあふれていました。

古い民家の庭先の熟れた柿、コスモスの河畔。
空の果てまで、さえぎるものもなく、ゆったり流れる河。
対岸には鉄道も通る、小さな田舎街がありましたが、
橋をわたると、視界には、空とりんご畑がひろがり、
その先の小高い丘に、留学先の大学がありました。
キャンパスの森には、野生動物も生息しています。

深い霧の朝、白い水滴のなかを登校していると、
周囲の森や建物が、朝の光に、幻のような姿を現します。
秋夕の夜の、まるで金の乗り物のように、巨きな満月。
「丹楓」と呼ばれる、あざやかな紅葉。凛冽な風。
猛勉強しながらも、地方の良さを、満喫したものです。
ソウルのような大都会では、味わえない贅沢でした。

いまでも瞼に残っている、青空の風景があります。
大学の中央館の両側にならんだ、高いポールの先端で、
ひらひら心地よく、風に揺れていた万国旗です。
留学生は毎朝、この下を通って、語学堂に入りました。

青磁のような空のなかに、「日の丸」もありました。
かつての「統治国」のシンボルとは思えぬほど、
小さく、仲良く、一緒に、平等に・・・
なんというか、そのときはじめて、無性に
「日の丸」が美しく、いとおしく見えました。
他のどんな、使われ方をしている時よりも。

日本人学生は少なかったのですが、
40~60代の年長の方も、何名か留学しておられ、
目的意識を持って、意欲的に勉強されていました。
もと教員だったB先生も、そのお一人で、
大学院入学をめざして、語学堂で学んでおられました。

B先生から伺ったお話ですが、あるクラスで、
各国の学生たちが、国歌を紹介したときのことです。
B先生と、もうひとりの日本からの学生は、
理由を述べてから、「君が代」を歌わなかった。
しかし他の、若い日本人学生は、歌ったそうです。

この話を聞いたとき、私は、君が代を歌った学生が、
どんな考えがあって、あるいはなくて、そうしたのか、
知りたい思いに駆られましたが、その一方では
日本人だけ、国歌に対して、意見と行動が分かれたことは、
恥ずかしいよりも、むしろ良かったのではないかと思えました。
(私は、B先生たちと同じ立場ですが)

日本では、個々人で異なる、政治的立場を表明しても、
それは悪いことでも、困ったことでも、犯罪でもない。
たとえ国歌や国旗に対してさえ、強要は許されない。
それぞれの自由が認められ、良心が尊重される国だという
日本という国の本来の、あるべき姿、守るべき理念を、
他の国の学生たちに、見てもらえたからです。

しかし同時に日本での現実。とくに教育現場での
教員や学生たちの、良心の闘いを思うと、
胸が締め付けられる思いでした。
それは日本が、国として、戦争と歴史の問題を、
いまもって解決できていない、負の側面だからです。
私の留学は、そんな息の詰まる日本社会からの、
あまりにも意気地の無い、逃避だったのです。

韓流人気もあって、日韓関係は比較的良好でしたが、
拉致問題、ミサイル発射、核実験などが重なり、
日本人の病理ともいうべき、朝鮮民族への蔑視感情は
精一杯のご都合で、「北朝鮮」に向けられていました。

高銀氏の「蒼空」は、南北に引き裂かれた、民族の痛み。
その激烈な真情の前に、おなじ青空を見上げながら、
私の感慨など、恥ずかしいほど、安っぽいものです。
情けなく、切ない気持で、思い出すばかりです。


東アジアにいま、暗雲が立ち込めています。
メディアのなかにも、かろうじて残っていた
政府とは距離を置き、キナ臭い話には警戒する批判精神は、
上から目線の、「大人の」態度に取って代わられ、
いまでは、完全に姿を消してしまい、
ついには、戦争を煽るまでになってしまいました。

ゲーム感覚で、日中戦争のシミュレーションですか?
「日本は勝つ!」そうですね(笑)
下品な冗談では、済まされません。
すでに戦争の準備は、始まっているのですから。

しかしどうにも、分かっていないようですね。
異国の小さな教室でも、意見が分かれたというのに、
1億以上の日本人が、日本人というだけの理由で、
ここまで無責任な煽りに、ホイホイ同調するとでも?
近隣国への歪んだ憎悪に、すすんで身を焦がすとでも?
そんなことを、期待してもらっては、大迷惑です。

日本人だからこそ、尖閣諸島の国有化という、
政府の判断を、批判するのです。

日本人だからこそ、従軍慰安婦に関する、
「河野談話」の修正に、反対しているのです。

日本人だからこそ、憲法改正や徴兵制、戦争協力に反対し、
平和国家の名誉と、誇りと、良心を、守り抜くのです。

大国に蹂躙されるより、さらに無残で、悲劇的なことは、
国民が自らの手で、戦争や排外主義、国民統制に血道をあげる
ファシストらを祭り上げ、結局は、自分たちが滅ぼされる結末です。

「中国」「北朝鮮」と聞くだけで、あるイメージにのみこまれ、
理性を失って、身構えるようでは、「米英鬼畜」と同じ。
気に入らないものはみな、「反日」なる用語で括って叩く・・・
それこそが、日本国に対する冒涜、「反日」ではありませんか?

深刻なのは、若い世代の人々が、井の中の蛙のように、
あまりに盲目で、お粗末な国家観や、歴史認識に侵されて、
下品な放言や、無知からの偏見を、平然と口にすることです。
若者の「さまよえる良心」につける薬が、愛国心や徴兵制ですか?

出典は忘れましたが、ずっと昔に読んだ言葉です。
「これからの日本人にとって、英語は必須。
 そしてもうひとつ。アジアの国の言葉を身につけること」。

かつての国際人のすすめ、いまでは日本人の条件ですね。
若い人たちには、ぜひ実行していただきたいと思います。
「アジアとともにある日本」を、忘れないでください。

北上する台風が、列島ではなく、大陸や半島を襲えば、
その地の人々の被害にも、胸を痛め、手を差し伸べ、
嵐のあとの青い空に、わが胸も晴れ渡る、友の心です。

その国の、素晴らしい詩を、たくさん読んでみてください。
アジアが、イメージや情報ではなく、肉体感覚になるまでに。
青い地球のように、はじめて見えてくる、日本の姿があります。

もうひとつご紹介するのは、これも韓国の詩人、
申東曄(シン・トンヨプ)氏の、
「だれが空を見たというのか」という、詩の一節です。


だれが、空を見たというのか?
だれが、雲ひとつない
紺碧の空を見たというのか?

きみが見たのは黒雲。
それを空だと思って、
一生を過ごしたのだ。

きみが見たのは、
屋根をふいた、鉄の大甕。
それを空だと思って
一生を過ごしたのだ。



空と海が、戦争の黒雲につつまれても、
大甕のなかに引きこもり、無感覚に日々を過ごす。
それは人として、堪えがたいことではないでしょうか?

戦争とは、勝ち負けのゲームでは、終わらない。
命が奪われる、信頼が失われる、人が鬼となること。
何世代にもわたって、傷が癒えることなく、深まり広がること。

戦争とは、いちど起こってしまえば、
勝っても負けても、謝っても償っても、許しても忘れても
もう取り返しはつかない、回復不可能な歴史。
未来にも、過去が刻みつけられた、永劫の記憶。

真の愛国者は、問いかける。
真の英雄は、怖れない。


☆★☆★☆★☆★☆★


高銀(コ・ウン)。1933年~。
軍事政権下での民主化運動に投身し、投獄や拷問も経験しました。
南北の文化交流にも尽力し、金大中大統領とともに、北朝鮮を訪問。
ノーベル文学賞の候補にもなった、韓国の世界的な詩人です。

申東曄(シン・ドンヨプ)。1930~1969年。 
4.19の民衆革命にも参加。抵抗詩人とみなされて、
詩集が、発禁されていた時期もあるといいます。
60年代を代表する詩人です。

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枯れた無花果の木
2012-10-04 Thu 11:30

枯れた無花果の木

(花の嘆き)
世界があっさりと、壊されてしまったのは、
みんなが気前よく、ゆるしてあげたからです。
土下座をする人たちは、あとでもっと悪いことをするのに、
やっぱり許してもらえるから、いつも元気いっぱいです。
でもだれが、「ゆるしなさい」って命じたのですか?
花を踏みにじって、あとに残った香りを、楽しむのですか?

(鳥の涙)
世界にいつまでも、不幸が尽きないのは、
みんなのつくる、明るい笑顔が、絶えないからです。
怒ることも、悲しむことも、疲れることも許されず、
涙をふいて、文句も言わず、上を向いて行進するほかないからです。
でもだれが、「笑いましょう」って強いるのですか?
空で見てきた、鳥たちの飛語が、どうしてデマなのですか?

(風の呻き)
世界がこんなにも、色あせてしまったのは、
みんなが、「愛してるよ」って、言い始めたからです。
臆病な斥候の、いい加減な冒険話を信じこんで、
やれば出来るんだと、昼も夜も、夢をあきらめないからです。
祈っても、努力しても、失敗のデータが増えるだけ。
命を守ろうとする声を、風評被害だと騒ぐのは、だれですか?

(月のため息)
世界がどうしても、平和にならないのは、
みんながすぐに、奴隷の幸福を求めるからです。
戦争も、放射能もなんのその、自分さえ幸せになれば、 
網膜には、世界のすべてが、きらきら輝いて見えるからです。
いいところだけを見ろって、だれが言うのですか?
月の裏側の、あばたの顔を、見たことがありますか?

(光の天使)
神さまが世界を、救ってくださらないのは、
みんなが神さまを、召し使いにしているからです。
神さまが人に仕えて、願いを叶えるのではなく、
人が神さまに従って生きるのが、まことの「道」なのに、
そんな神さまは嫌だって、ぽんと棄ててしまったからです。

季節ではないからと、実をつけてなかった無花果(イチジク)の木が、
神さまに嘆かれて、枯れてしまったように、
自由を怖れて、世のしくみに従う、空気に抗えない心も、  
不意を襲われて逃げ込んだ、財布のなかで息絶えるでしょう

大自然の驚異は、成功の法則よりも、偉大です。
季節はずれの無花果とは、良い知らせを聞いて、
はっと神さまのほうに振り向く、自由な魂、生命の躍動。
自由こそが、枯れ木に咲いた花にもまさる、命の奇跡なのです。

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十五夜の祈り
2012-10-03 Wed 03:08

こんばんは・・・

ブログ開設から、ひとつきばかりが経ちましたが、
この間、多くのみなさま方にご訪問いただき、ありがとうございます。
当ブログは、身近な自然や、趣味の天体観測の記録や、
日常の雑感、のっぴきならない想いを託した詩などを、
とりとめもなく、思いつくままに綴ってみようと始めたものですが、
めまぐるしい日常のなか、思うにまかせず、
これでは更新が、たぶん月に一度くらいしかできないかもしれません。 
そこでこれからは、詩やエッセイよりも、
つれづれの雑記を中心としたものにしたいとも考えているのですが・・・

今夜は、はじめて写真を載せてみたいと思います。

さきおとといの9月30日は、中秋の名月、お月見の夜でした。
台風のため、お天気に恵まれない地方もありましたが、
わたしの住む地域は、幸いにも、流れる雲間に見え隠れする、満月の姿が望めました。
手持ちのデジタルカメラで、簡単に撮影したものです。


十五夜1
月の出よりしばらくは、澄んだおもて見せてくれました。
天体望遠鏡で撮影したもので、月の模様が反転しています。
しばらくすると空一面が、水の膜ような雲に覆われてしまいました。

十五夜2
深夜にふたたび、ながれる雲の間にあらわれて、
木々の柔らかい葉合いに、月の光が木漏れました。

昨年は十五夜の光を纏って、神秘的な月下美人も花開いたのですが、
今年はまだ蕾さえつけておらず、ご紹介できないのが残念です。
プロフィール写真は、一昨年前の月下美人の姿です。
英語教師だった夏目漱石は、「I love you」を生徒が、「我君ヲ愛ス」と訳したのを聞いて
「月がきれいですね、といいなさい。それで伝わる」と教えたといいます。

十五夜の祈り。昨年はこうでした。
「被曝した子どもたちが、銀河鉄道に乗せられませんように。
 事故処理の作業する人々が、グスコーブドリに仕立てられませんように」。

今年はそれに、もうひとつの祈りが加わります。
「にらみ合う海が隔てる、東アジアの大陸と半島と列島で
 今夜おなじ月を眺める人々の心が、いつか、ひとつに結ばれますように」。  

人は忘れ、隠しても、星は見つめ、記憶しています。

命を守れと叫ぶ唇が、隣国を罵倒するなど、ありえないことなのです。

お月見の風習は、日本だけのものではなく、東アジアに共通の文化。
中国では仲秋節、韓国では秋夕として、大切な民族的行事です。

畏怖すべきは、広大無辺なる大宇宙。
われわれの未来であり、過去でもある
星の海こそ生命の故郷。地球は、霊魂の揺り籠。
ゆるぎない天体の運行と、めぐる季節のなかで、
宇宙のリズムを呼吸する、心と身体と生活を取り戻し、
日と月と星々との交感のうちに生きて、死にたいですね。

ブログの操作が、まだ覚束ない段階なので、不手際も多いのですが、
みなさまにお読みいただけますことを、嬉しく思っております。
私のほうから訪問させていただき、コメントもお許し下さるみなさま方、
いつも様々なことを学ばせていただき、感謝しております。
また、いくつかリンクさせていただいているブログのみなさま方にも、
この場をお借りして、お礼を申し上げます。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。

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