Dark night of the soul Secret path to the Light

逆巻く風が不安なページを・・・
2016-11-10 Thu 01:27

世界中が、尻餅をついてしまったな。

なにが起こるかのか予測もできない。
だがいまは、ああでもないこうでもないと言うのはよそう。
冷静さを欠いた、興奮にすぎないのだから。
総得票数では、ヒラリー・クリントンが優っていたそうだが、
あまりにも屈辱的な結果には、物もいえない。
なにより、他人事ではないからだ。

確実なことはひとつ。
今日ほど前向きに、開き直った日はない。
安倍政権の誕生に絶望して以来、性根が腐ってしまい、
どこかに消し飛んでいた魂が、ようやく自分に戻ってきた。
これからも生きられる。
生きるということは、幸福になることではなく、
人が人であることを否定する、理不尽な物事に抗うことだ。

逆巻く風に、不安なページが捲れてしまった。
昨日までの世界と、今日からの世界は、もはや違う。
厳しい試練の時だ。だがこれで、人は目を覚ますだろう。
みずからの言動にも、より自覚的になるだろう。
確かにあると思っていたものは、信じ込まされた幻だった。

もうあとには、戻れない。
愚かしい現実を見つめ、熟考し、進まなければならない。
トランプという「蝕」は、断崖に追い詰められた民衆が、
やけっぱちになり招いてしまった、避けられない運命だ。
ヒラリーでは、生ぬるい幻影が、もうあと4年間続くだけだ。

わたしたちが、民主社会の市民として望むものは、
街を彩る、豪華絢爛なイルミネーションではなく、
暗雲が立ち込め、嵐が荒む夜にも、空に上に輝く、
太陽と月なのだから。

地球上の混迷をよそに、いま沈もうとしている月。
かの国の夜にも、涙に暮れた人々の心を慰め、
踏み迷った人の大道を、明るく照らせ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

それにしても、いつまでも眠れぬ夜だな。
いまあちらで煮えたぎり、爆発する悔しさと怒りは、
とてもとても、わたしなどの比ではない。
すでに抗議運動が起きているようだ。
その動画を見詰めているだけでも、心が救われる。

However this ends, that's where we begin.
Michael Moore 

If Donald Trump takes people's anger
and turns it against Muslims, Hispanics,
African Americans and women,
we will be his worst nightmare.

Bernie Sanders 

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(いくつか拾った注目のツイートより)


どちらも当選してほしくなかった米大統領選だが、「自由」「平等」「人権」の概念を公然と否定する候補がここまで来たのは、もはやこの〝超大国〟が、理念上も破綻している現われか。そしてそうした結果すら、「TPP」や「基地」問題との〝絡み〟で、功利的に論評する日本の言論人。安倍政権が続くのも道理。

「対米自立」という概念の空疎な先走りが、あまりにも恐ろしい。日本国は「戦後」、米国の圧力によって、「自立」を阻まれてきたのでなどない。そのはるか以前——そもそも「戦中」「戦前」から、「自立」すべき主体性が民の中になかったからこそ、天皇制に支配され、「戦後」は米国に支配されてきたのだ。

このたびの米大統領選結果に覚える暗澹たる気分は、むろん今後の世界全体の、どう考えても明るくはない行方をめぐる思いが、
まずある(相手候補が当選しても事態の基本的帰趨は変わらない)。だが同時に、日本国の一部の反応の、あまりに打算的・功利的・没理想主義的惨状を、目の当たりにさせられるせい。

(山口泉氏)


トランプ勝利の件。民主主義に不可欠ないくつかの建前、平等、個人の尊厳などの価値について、自分たちの特権にしておきたいと思う崩落しつつある多数派が、あからさまに否定することを、ためらわなくなった結果ということなのだろう。建前や約束事を一切消去すると後に何が残るか、恐ろしい限りだが。

日本の反新自由主義の陣営にトランプを歓迎する人がいるが、気が知れない。エスタブリッシュメントの否定がより大きな差別や破壊をもたらすことを心配しないのかね。選挙キャンペーン用の言説と、統治者としての言動を区別する知性をトランプが持つことを祈るばかり。

2016年は、民主主義の歴史の中で、呪われた年として、残ることになるだろう。噫

トランプ政権は、日本の政治指導者の歴史認識や人権感覚など全く関心を持たないだろう。安倍政権が歴史修正主義を推進することも放任することになる。日本における右派による戦後的価値の破壊に対して、アメリカというブレーキはもはや期待できない時代となった。安倍政権にとっては追い風の事態。

(山口二郎氏)


米国が世界の尊敬を集め続けていた背景には、為政者や米国民に人類の理想を追い求める姿勢があったからだ。が、人種差別的な言動を振りまき、女性を蔑視し、卑猥な言動で顰蹙を買い、対立候補を罵倒してやまなかったトランプの勝利と大統領就任は米国に対する世界の見方を一変させるだろう。

確かにトランプ新政権は極右・全体主義国家を進める安倍政権にとっては追い風だ。彼自身、極右でレイシスト、ヘイト志向の人だから。さっそく、元KKK団のトップが祝辞を述べたのがその証拠。それに、トランプにとって他国がファシスト化しようと、潰れようと関心がない。彼は自国しか関心を持たぬ。

トランプショックでひどく落ち込む夜です。世界は一層悪くなる予感が。きっと、どす黒い流れの世界で、あの「お方」も今苦しんでおられるのでは無いでしょうか。何しろ、「消えかかった灯心の火さえ消さない」優しい方なのですから。(イザヤ42)

(澤田愛子氏)


冷戦以降のリベラルな中道政治の時代が決定的に終わり、次の十年は極右の主流化の政治になるのだろうな。それは、一部の左派が言うようなグローバリゼーションやネオリベラリズムが終わることを意味するのではなく、その弊害が格差や民主主義の問題ではなく反移民や人種差別を通して語られる時代。

Brexitとトランプがもたらしたナラティブの大きな変化は、「格差」や「経済不安」が全ての貧困者の問題でなく、人種と国籍でその不安が尊重されるべき者と、同じ問題を抱えていてもその尊重されるべき者を脅かす者とに分断されたことなんだよな。このナラティブを左派も受け入れている点で大きい。

そして、何より人種と反移民の恐怖を煽る人間が、格差の問題を認め具体的に改善の政策を出した人間を破ったという点も大きい。人々の不安は社会の中で適切に分析され政治的に解決されるべきものではなく、無責任に煽られるものになった。

(kazukazu88氏)


極論を言えば、安泰な世の中では「強さ」も「身体と魂の健全」もそこまで必要ないのだ。でも不穏な時代には、それが絶対必要条件になる。僕は鍛錬を続けて、今後少なくとも四年間は続く闘いに備える。あと、とにかく「孤立しないこと」。平和な時は独りでも生きていけるけど、今はお互いが必要だ。

トランプは「俺が勝たない選挙はイカサマだ!」なんて言っちゃうこと自体、「政治プロセスの尊重」の「そ」の字もないんだけど、
オバマもヒラリーもその他の政治家も「民意によって選ばれた大統領をリスペクトしなきゃ」というスタンス。
それは「政治プロセス」へのリスペクトなんだ。

僕の知人で、男の子と女の子をもつお母さんが書いていた。「トランプの国で、私は今日から、息子には女性を尊重することを、娘には自分が価値ある人間だと知ることを、昨日よりは少し余計に、日々、教えていく。私は諦めない」家庭から始まる。これが僕たちにできる最もパワフルなレジスタンスだ。

(つくる・フォルス氏)


種

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目を覚まして、未来をあきらめないこと
2016-04-04 Mon 16:25

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右傾した地軸
2015-08-30 Sun 12:03

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時空を超える記憶
2015-07-09 Thu 18:09

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宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を読む②
2015-05-30 Sat 18:09

“ほんとうのさいわい”とは、なんでしょうか?

(燈台守)
なにが幸せかわからないです。
ほんとうにどんなつらいことでも、それがただしいみちを
進む中でのできごとなら、峠の上り下りも、
みんなほんとうの幸福に近づく、一あしずつですから。


(青年)
ああそうです。ただいちばんのさいわいにいたるために、
いろいろのかなしみも、みんなおぼしめしです。


「銀河鉄道」は、それに答えてくれません。
求めつづければ、いつかかならず、得ることができるのだとも、
どこかに幸せの国があって、いつか、みんな一緒にいつまでも、
尽きない喜びを、分かち合えるのだとも、言ってはくれません。

ジョバンニは、親友のカムパネルラとともに、銀河鉄道で、
いつまでもどこまでも、楽しい旅を続けたかったのに、
その大きな希望を、胸一杯抱いた瞬間、カムパネルラは消え去り、
ジョバンニは、友の死という深刻な事実に、直面させられます。

宮沢賢治が、『銀河鉄道の夜』に描いた世界は、
「本来書き得ないこと」「人が書いてはならないこと」としての、
死後の世界です。そのため、子どもの読む童話にしては、
難しすぎるかもしれませんが、あえて、死の影の照射によってのみ、
通常の、人それぞれの「幸せ」と、「ほんとうのさいわい」との、
明と暗が、突然くっきりと、浮かび上がってくるのです。

「死人に口なし」というように、死者ほど蔑ろにされ、
都合よく利用され、手前勝手に扱われる存在もないでしょう。
むごい扱いで死なせた性奴隷は、人として葬れば祟るので、
畜生のように棄てたとか、赤紙一枚で戦場に送り、無残に人を殺させたり、
戦死や餓死させた兵士らを、神に祭って顕彰するとか、やりたい放題です。
それらはそのまま、生が弄ばれ、命が軽んじられる、現実の反映です。

人は死者の想いなど、気にもしなければ、考えようともしません。
安らかに眠ってほしい、成仏してほしい、天国で幸せになってほしい、
いつも見守ってほしいと、いつまでも、あなたを忘れませんなどなど、
形式的な供養や鎮魂、慰霊や追悼を、さかんに繰り返すのですが、
冥福を祈るのは、生きた人間を大事にするより、ずっと楽なことです。

だが、ほんとうにそれでいいのか?
しかし『銀河鉄道の夜』は、まさにそれを問うているのです。

本来、人が書き得ないとされる、「死後の世界」を設定してまで、
宮沢賢治が、死者の実存という問題に、正面から取り組んだのは、
はたして、死んだ後にあるとされる、天国や極楽などの浄福は、
現世での理不尽な、残酷な、悲惨な生と死を、贖えるものなのか・・・・
死者は、生者の偽善や不実に、どんな思いで堪えているのか・・・
だれもが怖れ、諦め、目をつむり、逃げてしまう、究極の問題を、
誤魔化しておく欺瞞に、堪えられなかったからではないでしょうか?

難破船の犠牲者の、姉と弟には、ふたりの家庭教師である
大学生の青年が、影のように付き添っていますが、
このなかで、もっとも人間味が薄いのは、この家庭教師です。
多少の学問があるからでしょうか、悟りすました、上から目線で、
言葉少なに生を愛惜する姉や、死んだことを悔しがる弟の気持が、
分かるようで分からぬまま、二人を慰めながら、傷つけています。

「・・・・・早くいって、おっかさんに、お目にかかりましょうね」
「うん、だけど僕、船に乗らなけぁよかったなあ」
「ええ、けれど、ごらんなさい。そら、どうです、あの立派な川、ね、
あすこはあの夏中、ツインクル、ツインクル、リトルスターをうたって
やすむとき、いつも窓からぼんやり、白くみえていたでしょう。
 あすこですよ。 ね、きれいでしょう。あんなに光っています」


青年は、どんな事態にも冷静に対応できる、楽観思考の人でしょう。
この世での、「いろいろのかなしみ」の原因や解決などは、どうでもよく、
神さまに召される喜びのために、他のすべてに盲目になっています。

流れ星は、天国へ向かう魂・・・
その多さに耐えられなくなり、思わず目を伏せました。


4年前の大震災の夜、被災地の夜空を見上げた、ある方の想いです。
為すすべもなく、家族や友人を、波に浚われた方も多かったでしょう。
その凄惨な夜に、きれいな流れ星を、うっとりみつめながら、
「たくさん死んだけれど、みんな天国へ行けて良かったね」などと、
うそぶけるものでしょうか。「思わず目を伏せ」るはずです。

沈没する船の上で、ふと、無理をして子どもたちを助けるよりは、
このまま死んだほうが、幸福ではないかなどと、前向きに考える青年に、
決定的に欠けているのが、人としての、正直な痛みの表出です。
彼も本当は、辛くてやりきれないのに、無理に笑顔でふるまうのは、
その関心が、天国への入国と、子どもたちの教導でしかないからです。

これに対して、カムパネルラ少年の、謎めいた苦悩と行為は、
あえて言挙げをしないままに、静かな対照をなしています。

カムパネルラは、ジョバンニの友達ですが、気弱なところがあり、
ジョバンニが虐められていても、心では寄り添いながら、
助けてやることができずに、胸を痛める、陰のある少年です。

サウザンクロスの駅で、「銀河鉄道」の乗客はほとんど降りて、
天上に向かいましたが、死者であるはずのカムパネルラは、
なぜかそうはしないで、「銀河鉄道」に乗ったままです。

そのカムパネルラが、突然、ジョバンニの傍をはなれて、
飛び込んでいったのは、ジョバンニが大きな恐怖を覚えた、
天の川に、どぼんと空いた「まっくらな孔」、「石炭袋」でした。

南十字座(サウザンクロス)の近くに、黒々とした影を広げる
「石炭袋」(コールサック)は、肉眼でも見える暗黒星雲です。
宮沢賢治の時代には、天文学的にも、その正体が分かっておらず、
どちらとも日本からは、見えない天体なのですが、宮沢賢治は、
この「石炭袋」を、「銀河鉄道」と、地上を含めた多次元宇宙とを結ぶ、
深遠で、不気味な、謎めいた通路として、象徴的に用いています。

「あ、あすこ、石炭袋だよ。そらの孔だよ」。
カムパネルラが少しそっちを裂けるようにしながら、
天の川のひととこを指しました。
ジョバンニはそっちを見て、まるでぎくっとしてしまいました。
天の川のひととこに、大きなまっくらな孔が、
どぼんとあいているのです。その底がどれほど深いか、
その奥になにがあるか、いくら眼をこすってのぞいても
なんにも見えず、ただ眼がしんしんと痛むのでした。


二人を襲った、無明の虚空への、底知れない謎と恐怖とは、
人がそれと向き合い、見つめるのを、つねに避けてきたもの。
悩みも憂いもきれいに忘れて、まったり過したいと願いながら、
人としてそれでいいのかと、心に問わずにはいられないものです。

「石炭袋」とは、煌びやかな天上に去っていった、悲しい姉弟との、
別れ際の涙、隠せない葛藤、あふれる無念さ、限りない疑問の、
非情なる実体化であって、銀河の光芒さえ、無残に消してしまう
無限の闇が、しんしんと詰まった、天上とは反対の世界です。

「石炭袋」に飛び込んだカムパネルラは、どこに行ったのかという、
最大の謎には、さまざまな説があるようですが、わたしは、
カムパネルラは、惨苦に満ちた世界に、もういちど生まれるために、
ふたたび母親の胎内に、回帰していったのだと思います。

唐突なようですが、庶民に最も親しみのある、お地蔵様は、
サンスクリット語では、“クシティガルバ”とよばれ、
クシティは「大地」、ガルバは「子宮」「胎内」の、意味だそうです。

お地蔵様は、衆生に手を差し伸べながら、地獄が空っぽになるまで、
自身も成仏せず、西方浄土には行かないと、誓った菩薩ですが、
その大元にある、地獄にさえ赴いてゆく、大悲こそが、賢治のいう、
『世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない』
という、自我を超え、生ける者すべてを包み込む、真心だと思います。

「石炭袋」の方角に、ジョバンニにはどうしても見えなかった、
きれいな野原や、母親の姿が、カムパネルラにだけは見えたのは、
二人を本来の、生者と死者とに分かつ、決定的な瞬間であり、
「個人の幸福」と「世界全体の幸福」とを峻別する、シグナルでした。

ジョバンニが、このままずっと、大好きな友達といつまでも
楽しい旅をしたいと願うのは、単純な「個人の幸福」でしたが、
その大切な友達のジョバンニではなく、彼を学校いじめていた、
首謀者の少年を助けることで、命を失ったカムパネルラは、
人に条件をつけて、分け隔てるのを拒む、差別なき想いをもって、
「世界全体の幸福」への願いを、黙って実践しました。

ジョバンニにとっては、理解に苦しむ、つらい別れです。
もう彼には、心を通わせる友もなく、冷たい世の中に残されて、
貧しさやいじめに、たったひとりで、立ち向かうほかありません。
「強く生きてほしい」「ほんとうの幸せを見つけてほしい」と願う、
読者の安易な期待をよそに、ジョバンニがその後の人生を、
どんなふうに生きたのかは、だれにも分かりません。

もしかすると、一生かかってもついに、カムパネルラの死の意味や、
“ほんとうのさいわい”を、理解することができなかったのならば、
『銀河鉄道の夜』は、生者と死者の、絶望的な隔絶の物語になります。

地上ではいまも、どれだけ多くの老若男女が、どれほど理不尽な、
悲惨な、残酷な人生を送りながら、どんな思いで死んでゆくのか・・・
その人たちは、天国に到着さえすれば、苦しみから解放されるのか?

だとしたら、天国なる所では、どんな安らぎや喜びが、得られるのか?
地上が核の炎に包まれても、別に気にしないで、安穏と過せるのか?
神さまには、苦悶も悲嘆も憤怒も、憂愁も懊悩も、ないのでしょうか?、

私が、「わたし」として認識している自我とは、実体なき「空」です。
どんなに自分を探しても、自分の内面に、自分は存在していません。
自我とは、他とのあらゆる関わりを通してのみ、確認できるものだからです。
宇宙の万物は、支え支えられることで、成り立っているのであり、
自分一人で、好きなように存在しているものは、ひとつもありません。

そして、それを実感するのは、難しいことではないのです。
人が、喜怒哀楽を感じるのは、他と繋がっているからです。
世界に無関心な者は、本当の喜びも怒りも憂いも安らぎも、知りません。
その属する社会や歴史を離れて、存在できる人間はいないからです。

それを忘れて、自己とその拡張である、身近な愛する人達のために、
物心ともに充足を求めるのが、「個人の幸福」だと言えるでしょう。
そのためには、自分の命さえ、惜しみなく投げ出したり、
国家や会社のために、滅私奉公に励むのも、自我追求の発露です。

これに対して、地上のどこかに、ただひとりでも、飢えた人、
仕事を奪われた人、差別される人、戦争で死ぬ人がいるならば、
こみあげる涙と怒りに、身を震わせ、心臓を抉られるような
“copassion”によって行動を起こし、共闘の汗を流し続けることで、
はじめて思いを致すことができるのが、「世界全体の幸福」です。

「わたしこそが世界」という、みすぼらしい個人感覚と、
「世界こそがわたし」という、正しい自我認識の違いです。

人が世界と繋がるには、ちっぽけな自我の殻をどうしても
破らなければならず、それには葛藤や激痛が伴います。
そして、お釈迦さまの言葉にもあるとおり、人生や世界とは、
つねに、あらゆる「苦」に満ちあふれた、無常なものなのです。

もし甘美な、法悦の境地で、「宇宙と繋がる」と言っているなら、
その「宇宙」とは、そうあってほしいと願う、欲望の投影にすぎない
実体のない、脳内の、美しい虚構であると、言わなければなりません。

ジョバンニが、一緒に旅を続けたいと願った、カムパネルラもまた、
ジョバンニ自身が、こうありたいと憧れる 理想の投影に過ぎず、
彼はカムパネルラ自身の、痛切な孤独や覚悟を、理解していません。

「僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない」
「あんな大きな暗の中だってこわくない」などと、物騒なことを、
軽々しく叫ぶジョバンニは、子どもらしい、無鉄砲な勇ましさで、
みずからの境遇と悩みに、いつのまにか自惚れています。

銀河の旅を続ける、ふたりの間には少しずつ、
乗り越えられない、深淵が広がってゆき、別れは必然でした。

いつの時代でも、宇宙との交感や、神との合一、
大自然との調和を、魅力的に語る向きがあるものです。
しかし私はそんなものよりも、中国や韓国の人々と、
生傷を癒しながら、理解しあうことのほうが、なにより大切ですし、
そんなことはできない、したくもないというのであれば、
では、そんなに偏狭で利己的な、神や宇宙が、一体どこにあるのか?
私も、ジョバンニたちのように、まじめに尋ねてみたいです。

「そんな神さま、うその神さまだい」
「あなたの神さま、うその神さまよ」
「そうじゃないよ」
「あなたの神さまってどんな神さまですか」
 青年は笑いながら云いました。
「ぼくほんとうはよく知りません。けれどもそんなんでなしに、
 ほんとうのたった一人の神さまです」
「ほんとうの神さまは、もちろんたった一人です」
「ああそんなんでなしに、たったひとりの
 ほんとうのほんとうの神さまです」


ジョバンニの、素直なもどかしさは、たぶん、
だれもがまじめに、心の奥底では感じて、傷ついている、
「個人の幸福」と「世界全体の幸福」との、乖離かもしれません。
「ほんとう」ではない、贋物にあふれた、この世のなかで。

ジョバンニは、同級生のカムパネルラには、もう会えませんが、
カムパネルラが、万有のなかに甦って、いつでも、どこにもいて、
誰彼と共に、汗と涙を流しているのを、いつか理解できるでしょうか?
そのときジョバンニも、今度こそ自分を破って、他者との共苦を選ぶなら、
ふたりは初めて、理想に向かって、ともに旅を続けることができるでしょう。

なぜなら、“ほんとうのさいわい”とは、
終わりなき旅の、辛苦に満ちた道程において、
永遠の問いとしてのみ、存在しうるものだからです。

宮沢賢治の残した、比類なき美しい童話は、
無償の愛や自己犠牲の称揚、彼岸への憧れではありません。

もしかすると、私たちもまた、カムパネルラのように、
天上には行かずに、暗黒の「石炭袋」に飛び込んで、
ふたたびこの世に生まれて、「ひとつぶの麦」となることを望んだ、
苦悩する魂ではなかったかと、思い出させてくれるのです。



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宮沢賢治『銀河鉄道の夜』を読む①
2015-05-28 Thu 12:04

ひとつぶの涙

この地上に ひとりでも飢えている人がいる限り
わたしたちの食事は どこか楽しくはないでしょう
この地上に ひとりでも失業している人がいる限り
わたしたちの労働は どこか気が重いことでしょう

ひとつぶの麦を ひとつぶの汗を、
ひとつぶの怒りを ひとつぶの涙を

この地上に ひとりでも差別されている人がいる限り
わたしたちの遊びは どこか楽しくないでしょう
この地上に ひとりでも戦争で死ぬ人がいる限り
わたしたちの生活は どこか後ろめたいことでしょう

ひとつぶの麦を ひとつぶの汗を
ひとつぶの怒りを ひとつぶの涙を



『ひとつぶの涙』にたゆたいながら、ぼんやりと、
『世界がぜんたい幸福にならないうちは、
 個人の幸福はあり得ない』

という宮沢賢治の言葉を、思いうかべていました。

この歌の心が、まさに世界の痛みを、わが身に覚える、
"copassion"(共に受難を引き受けること)だったからです。
人はなぜ、ときに不幸に襲われ、理不尽に押しつぶされ、
さまざまな苦悩や悲嘆を免れず、絶望や罪障に苛まれるのか?

それはいまだに、世界全体が幸福ではないからです。

この世界のどこかに、不幸な人がひとりでもいる限り、
わたしたちも、幸福ではありえない、幸福にはなりえない。
人間とはそういうもの。そんなふうにできているからです。

そのことは、宮沢賢治のように、深い宗教心を抱きながらも、
内的世界に逃避・安住することなく、現実社会の改革に奔走し、
困難にぶつかりながら、志半ばで死んでいった人間には、
あまりにも自明のことだったと思われます。

「衆生病むを以ての故にわれ病む」(維摩居士)


『銀河鉄道の夜』には、“ほんとうのさいわい”を求める魂の、
息詰まる葛藤の涙が、きらめく静謐さをもって描かれています。


漁から戻らない父親と、病気の母親を持ち、寝る暇もなく働きながら、
学校ではいじめられ、工場でもからかわれる、貧しい少年ジョバンニと、
その友達で、金持ちの息子のカムパネルラは、「銀河鉄道」に乗り合わせて、
海難事故の犠牲者である、姉弟らと知り合い、天の川を旅します。

「わたしたちはもう、なんにも悲しいことはないのです。
 わたしたちはこんなにいいとこを旅して、 
 じきに神さまのところへ行きます。そこはもう
 ほんとうに明るくて、匂いがよくて、立派な人たちでいっぱいです」。


天国に向かうために、サウザンクロスの駅で、
姉と弟は、銀河鉄道を下車しなければなりません。
しかしそれを嫌がる弟は、思いあまって叫びます。

「天上へなんか行かなくたって、いいじゃないか。
僕たちここで、天上よりももっといいところを、
こさえなきゃいけないって、僕の先生が云ったよ」。
「だっておっ母さんも行っていらっしゃるし、それに神さまも仰るんだわ」
「そんな神さま、うその神さまだい」。


突然に命を断たれた、幼い子供です。
神さまと母親の待つ天国が、どんなにいい所であっても、
それでもやっぱり、もっともっと生きたかった。

しかも、生きて自分が為したかったのは、
あれがしたい、これも欲しい、どこへ行きたい、
なにが食べたい、だれが好き、どうなりたいという、
あふれんばかりの夢や、欲求の実現ではありません。

「僕たちここで、天上よりも
 もっといいところを、こさえなきゃいけない」。


生きている場所で、より高い理想の世界を、築いてゆくことだったのです。

それでも姉と弟は、否応なく神さまのもとに召されてゆき、
あとに残された、ジョバンニとカムパネルラには、
ひとつの深い問いが、投げかけられます。

ジョバンニは、ああと深く息をしました。
「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、
 どこまでもどこまでも、一緒に行こう。
 僕はもう、あの蠍のように、ほんとうにみんなの幸のためならば、
 僕のからだなんか、百ぺん灼いてもかまわない」。
「うん、僕だってそうだ」。
カムパネルラの眼には、きれいな涙がうかんでいました。
「けれども、ほんとうのさいわいは、一体なんだろう」
ジョバンニが云いました。
「僕、わからない」。
カムパネルラが、ぼんやりと云いました。
「僕たち、しっかりやろうねえ」。
ジョバンニは胸いっぱいに、新しい力が湧くというように、
ふうと息をしながらいいました。


けれども、銀河に黒々と空いた闇の穴、「石炭袋」にさえ
自分は、すすんで飛び込んでゆけるのだろうか・・・
振り返ってみると、カムパネルラの姿がありません。

驚いて眼を覚ますと、ジョバンニは疲れ果て、
丘に寝転んだまま、夢を見て泣いてたのでした。
大急ぎで、母親の待つ家に向かいながら、
大人たちの慌しい様子で、子供が川に落ちたことを知ります。

それは、カムパネルラでした。
銀河のお祭りの夜、川流しの舟遊びで、
カムパネルラは、いじめっ子が川に転落したのを、
飛び込んで助けたのですが、自身は流されて死んだのでした。

みんなもじっと川を見ていました。
だれも一言も物をいう人もありませんでした。
ジョバンニはわくわくわくわく足がふるえました。
魚をとるときの、アセチレンランプがたくさん
せわしく行ったり来たりして、黒い川の水は、
ちらちら小さな波をたてて、流れているのが見えるのでした。
下流のほうの川はばいっぱいに、銀河が大きく写って、
まるで水のない、そのままのそらのように見えました。
ジョバンニは、そのカムパネルラはもうあの銀河のはずれにしか
いないというような気がしてしかたなかったのです。



(つづきます)



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忘れえぬ星の夜 3.11
2015-03-13 Fri 00:42

ここ数日、真冬が戻ったかのような、寒さが続いた。
北の山から飛んできた雪の片が、風に舞い上がる。
夜には水道も凍り、花たちも力なく、萎れてしまった。
それでも陽差しだけは、すっかり春のものだ。

そんな3月の午後の、ある瞬間に、いきなり天地が崩れてしまう。
そしてそれは二度と、元の姿には決して戻らない。

裂ける大地、火を噴く山、牙を剥く海、天の洪水、白い魔物・・・・・
容赦しない自然災害は、避けることのできない、日本人の宿命だ。
この列島の、どこに住んでいようとも、いつか「その日」は訪れる。

3.11は、何よりもそのことを教えてくれた。
かならず、「それ」は来る。逃げも、隠れもできはしないのだと。
これからは、今日が来たように、明日も来るわけではないのだと。
原発が爆発したのに、大の大人が正気で、東京オリンピックですか?

4年間は、短かったと思う。そして、最悪の一途でもあった。
前を向けと言われても、いったいどちらが前なのか。
「復興」という言葉には、ただ、いかがわしさしか感じない。
国と東電の責任を問わずして、「復興」などありえるだろうか。
来年はさらにひどく、目に見えて、ますます悪くなっているだろう。

史上最悪の原発事故のあと、日本には、極右政権が誕生した。
この一言に、この国の不幸は、すべて言い尽くされている。
そして、「対テロ戦争」が宣言された。改憲など、黙って後からついて来い。
これに抗う者たちの、蟷螂の斧の、日に日になんと力なきことよ。


あまりに寒く、気が滅入るので、地元のプラネタリウムに行ってみた。
偶然にもそこでは、東北の人々の、星空に寄せた想いが語られていた。
これまでにも、さまざまに伝えられてきた、忘れえぬ星の夜。

あの夜、突然の大地震と大津波に襲われた、東北の被災地では、
大規模な停電のために、変わり果てた地上に、街明かりは点らず、
天災に打たれ、寒さに震えながら、夜を明かす人々の頭上には、
見たこともないほどの、深々とした星空が、輝きわたっていたという。

『地震で、宇宙にまでも、何かが起きたのかと思った』

そうだ。3.11は、宇宙的な出来事だったのだ。
小さな地球が、ちょっとクシャミしたような話ではない。
そんなふうに、いのちと地球を矮小にして、軽んじてはいけない。

たしかに星などは、夜にはいつでも空にあった。
けれども、地上の明るさに、みんな消されていただけだ。
生まれてはじめて、オリオン座をみつけた子どもたちもいた。

オリオン座はこの時季、夜7時ごろには、ほぼ真南の空高くに現れる。
その左下には、全天でもっとも明るい星、おおいぬ座のシリウスが輝き、
氷塊のような冬の銀河が、オリオンの肩をかすめて、駆け上がってゆく。
天頂には、ふたご座の1等星がふたつ並び、たぶん半月に近かった月は、
おうし座の、昴のかたわらにあって、やや西に傾いていたはずだ。

地上が明るくなければ、星屑などはどこにでも、無限に零れている。

何が何だか分からなくなるほど、黒い空間から、光が湧き出して、
とつぜん宇宙に投げ込まれたような、異様な気分にさせられてしまう。
浮遊感ではない。足の下は地面ではなく、地球なのだという驚き。
遠い過去からの、無数の光が、自分の皮膚に射して、青い影をつくり、
畏れのあまり鳥肌が立つ。いまにも触れられそうな、天体の近しさは、
なにかもう宇宙の、やわらかい皮膜なのだから。

そんな静寂な光の世界を、あの極限状態のなかで仰ぎ見た
被災された人々の想いは、どれほど深いものであったろうか。

地上は地獄みたいなのに、見上げると天には
星がまたたいていて、星だけは変わらないのかと思った。

バタバタしてずっと言うのを忘れていた。
あの夜、携帯の電波を探して外に出たとき、
とんでもない満天の星空が広がって、それを見た瞬間
「ああ、私は生きている!」って思ったんだよね。
それをすごく伝えたくて・・・・


こんな大変なときなのに、思わず星がきれい、と思った。
この気持があれば、生きてゆけるのかもしれない。


避難所でうずくまる母親の耳に、子供たちの歓声が聞こえてくる。
「星がとってもきれいだよ」。いっしょに外へ出て、宙を見上げる・・・
そこには、驚くほどたくさんの流れ星が、飛び交っていたという。

流れ星は、天国へ向かう魂・・・
その多さに耐えられなくなり、思わず目を伏せました。

こんな状況でも、美しいものを見つけられる、素敵な子供たちを、
なんとしても守っていかなくては・・・


多くの人々が、星の世界に、津波にのまれた死者たちの魂を思った。
激しい引き波にさらわれ、流木につかまって、海の沖を漂いながら、
最期に仰いだのが、この輝かしい天界の姿ならばと、亡き人々を思い遣った。

『夜空見て 孫星さがす じじとばば』

その朝には、元気な笑顔で家を出たであろう孫の姿を、
その夜には、星のあいだに探すことになろうとは・・・
老夫婦は今年も、街灯りの夜空に、星を望んだであろうか。

満天の星空を見た瞬間に、涙があふれて、
この子を守っていかなくちゃいけないと・・・


死者を悼む思いは、いま自分が「生きている」ことへの、戸惑いも引き起こす。
それが人を混乱させ、不必要な罪悪感に、苛まれることもあるだろう。
その時、かろうじて目に映り、手に触れるものの実感が、生の道しるべになる。
それが、はじめて見た宇宙の姿であり、傍にいる子供たちではなかったろうか。

たかが星には違いないが、あの生死を分けた冷たい夜が、
漆黒の闇に閉ざされた、暗夜ではなかったことに、意味がないとは思えない。

応援してくれる人への感謝を忘れず、精いっぱい生きてゆきます。
あの夜、真っ暗な空に輝いていた星たちのように、希望の星となるように。



※ここまでは、仙台天文台のプラネタリウム番組「星空とともに」と、 
 山陽新聞のエッセイ「宙を見上げていのちを想う」(高橋真理子)を、
 参照いたしました。記憶違いなどがあれば、どうかお許しください。


かみのけ座の銀河の集まり
Inside the Coma Cluster of Galaxies
Image Credit: NASA, ESA, Hubble Heritage (STScI/AURA);
Acknowledgment: D. Carter (LJMU) et al. and the Coma HST ACS Treasury Team


被災地に街灯りがもどったのは、いつ頃のことだろうか。
夜の荘厳は、ふたたび天高く遠ざかり、思い出となったのか。

震災の夜だけではない。あの夏は、首都圏でも計画節電が行われて、
夜景はいつもより暗かったという。その夜空に、北斗七星を見つけた都内の人は、
星がきれいな美星町のことを思い出し、岡山への移住を決意したという。

だからこそ、やはり言わなければならない。

放射能が降っています。静かな静かな夜です。

世界は誕生と滅亡の両方を、意味とは離反した天体の精神力で支えて、
やすやすと存在している。(和合亮一『詩の礫』より)


星を「希望の光」として、生きる力に変えた人だけではない。
光年や光速という、途方も無い言葉に、嫌気を感じてしまう人もいれば、
地の惨状をよそに、冷たく光る宇宙に、限りない無情を感じた人もいた。

その通りだと思う。よくある感動話では、すまされないのだ。
地上の夜が、光の洪水になったのは、たかがこの半世紀ばかりのこと。
人はいつでも、天の意と信じて、星の下で誇らしげに、蛮行を繰り返してきた。

夜が明けると、朝の光が、壊滅した街を無残に照らす。
その上に降り積もる、見えない放射能を、人はどうすることもできない。
ケッ、どの星からだって放射線くらい出てるんだよ。なにが怖いんだ。
学者の高説ならば、そのとおりだと信じて、安心するのか。
つねに学ぶ者、恐れずに疑う者、積極的に問いつづける者であれ。


わたしは気を紛らすために、スティーブン・ホーキングの、
『ホーキング、宇宙を語る』を読んだ。宇宙はどうやってできたのか、
時間は巻き戻しができるのか、というようなスケールの大きな問題に、
答えてくれる本だ。わたしはまだ11歳だというのに、
時間を巻き戻せるなら、巻き戻したいと思った。


夜が明けると、「血の広場」には、その夜のうちに殺された人々の
凄惨な遺体が、晒しものにされて置かれ、嫌でも衆人の目に触れる。
人の心は恐怖で凍りつき、互いに疑心暗鬼となり、だれもが沈黙した。
タリバンに逆らう者、反対の声を挙げる者たちは、容赦なく殺害された。

絶望の日々に、ホーキング博士の宇宙論を読んだ、ひとりの女の子の気持も、
震災の夜、人々が星に寄せた想いに、通低するものがあるように思えた。

神は、世界の始まりから一睡もしないで、すべての出来事を見つめておられる。
そして宇宙は「無明」ではなく、星明りによって、「縁起」に導いてくれる。

『イスラムの光塔から、真実の声が響くとき、
仏陀は微笑み、歴史の切れた鎖は、ふたたび繋がる』


人が、子供たちに未来を託するのは、軛に繋がれて抗えず、
自分では生きられなかった、よりよき明日を渇望するからだ。
これまでのような、当たり前に平和と安逸を貪る、怠惰な日々ではない。
いのちが暴力ではなく、愛によって生まれてくる、人と人との佳き関係だ。

いま、時間を巻き戻せるなら、どこまで戻ってゆくべきなのか?
この4年間、なぜもっと賢い道を、歩むことができなかったのだろうか。
この問いに向き合えないならば、これからも、悪いことがたくさん続くだけだ。


色とりどりの凧が、ガザの空に舞い上がる。

多くの日本人には、すでにただ通過し、ちょっと思い出す日でしかなくなった、
3.11の大破局を、ガザの子供たちは、いまなお続く日常の惨事として、
おなじように死の淵を体験し、生き残った者として、分かち合ってくれたのか。
ガザでの凧揚げのイベントは、釜石市と合同開催されたという。(参照)

この子たちは、いつまで生きられるのだろうか。
そして日本の、フクシマの子どもたちは・・・どうなるのだろうか。


ガザの子どもたち



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ヴァルカンの挨拶  LIVE LONG AND PROSPER
2015-03-06 Fri 12:14

llap.jpg
宇宙飛行士のテリー・バーツ大佐が、ISS(国際宇宙ステーション)から
レナード・ニモイ氏に贈った、“ヴァルカン・サリュート”


「長寿と繁栄を!」

いつの日か、どこかの星から、地球を訪れるであろう異星人も、
こんなふうに、わたしたちに、挨拶をしてくれるだろうか・・・

さようならは、こんにちはだね。
ありがとう、ミスター・スポック!


たとえ世界が砲火に包まれても、星の瞬きを見つめる、
たったひとりの子どもから、夢を奪い、翼を捥ぎ取るなかれ。

人が自分を見失い、道に迷うのは、偶像に執着するからだ。
天地の理ではなく、力ある者の欲望に従うからだ。
神の命と人の掟を、混同するからだ。

ただひとつだけ、全人類が共有している、渚の光景がある。
それは、頭上に広がる星の海・・・それが宇宙。
・・・・・舟を、持たぬ民があろうか。未知の故郷に向かうべき・・・


アメリカのSFドラマ『スタートレック』で、ミスター・スポックを演じた
米俳優のレナード・ニモイ氏は、2月27日に死去。83歳でした。
死の4日前になされた最期のツイートは、「人生」について・・・

A life is like a garden.
Perfect moments can be had,
but not preserved, except in memory.
LLAP


この人が残した、大きなものを思い出すときには、
この私でさえも、オプティミストになれる。

もし、希望というものが残されているとしたなら、
それはおそらく、地球上にではないだろう。


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緑の彗星 
2015-01-14 Wed 00:47

ラブジョイ彗星(C/2014 Q2 Lovejoy)。
現在、オリオン座の西で、よく見えております。
華やかな冬星座の間で、じつに絢爛豪華な眺めです。

NASAの日替わり画像より⇒緑の尾の星

冬の夜空を駆けぬける、深宇宙からの訪問者を、見逃すのは惜しい。
南の窓からひょいと目を上げて、双眼鏡を覗くだけで、キャッチできるのに・・・




昨年末から明るさを増し、5等台か、それ以上とも言われています。
1月7日には、地球に最接近。2月の上旬にかけては、
街中でも、双眼鏡があれば、じゅうぶん楽しめると思います。
他の星とは違って、ぼんやり見えるのが特徴です。

位置は分かりにくいかもしれませんが、
毎日移動してゆくので、こちらをご参照ください。
ラブジョイ彗星の移動経路(2015年1月上旬から1月中旬)
ラヴジョイ彗星が5等台

Lovejoy should return again ... in about 8,000 years.



空の星に夢中になるあまり、
足元の井戸に、落ちてしまったほうがましだよ。
地上では・・・ただもう、おぞましく、恥ずかしいばかり。
「自由」の名を、誇らしげに口にすることもできない、
「共和国」の歴史を、一行も持たぬ、根のない民であることが。

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女詩人の『美しい国』 (松の匂い)
2014-12-08 Mon 18:03




公会堂を建てるために
山から人々は松を伐ってくる。
松やにの匂いが村中に流れて、
大きな丸太がごろりごろりところがされる
まっしろな霜に朝日がさして
まるで紫色の焔が燃えているような道芝の上に。
力ある人々の
たのもしい木の切口。
沢山の年輪がめまぐるしく渦巻いて
これは何十年と静かな静かな山の中で
たくわえられていた肥え松の匂い。
公会堂が出来たら、
よい事を話しあおう。
よい事を考えあおう。
羊歯や笹やつつじの枝を折りしだいて
山から伐りだされてくる松の木、
いたましい戦争のためではなくて
美しい国を創るために
曳きだされてくる松の木
あたらしい、いい匂いのする松の木。



これは、詩人・永瀬清子(1906~1995)の「松」という詩です。
『美しい国』(1948年)という、詩集のなかにあります。

永瀬清子の名を、いま日本文学史上に、見ることができるでしょうか。
女性詩人の先駆者ながら、没後20年、すでに忘れられてしまったようです。
私にしても、その名前を、たまたま知っていたのは、
母校の校歌の作詞者として、小耳に挟んだことがあるからですが、
岡山県出身の、高名な詩人という他は、なにひとつ知らず、
詩集を手にとり、読んでみたこともありませんでした。

少し調べて見たのですが、地元の図書館でさえ資料は少なく、
現代詩の書架ではなく、郷土資料や書庫に入っていて、詩集でさえ禁帯出です。
私の祖母とはほぼ同年齢で、明治、大正、昭和、平成に掛けて生き抜き、
時代が大き変わる神戸震災とオウム事件の年に、数日を前後して死去しています。
もしや女詩人と私は、岡山の街角で、それと知らずに、すれ違ったのでしょうか。

ともあれ、30年ぶりの再会のきっかけは、地元の新聞記事でした。
『永瀬清子さんの、天体描いた詩紹介』という、記事が目に留まり、
「天体を描いた詩」となると、居ても立ってもいられてなくなった訳です。

会場は、永瀬清子の生家がある、岡山県赤磐市松木(旧熊山町)。
岡山からさらに東に入った、吉井川沿いの小さな村落ですが、
11月も終わる雨もよいの日に、ようやく訪ねることができました。

JR山陽線の「くまやま」という、いまは無人となった駅を降りて、
むかしは商店も並んでいたであろう、人気のない通りを歩くと、
吉井川の土手に出て、目の前に、大きな熊山橋が見えました。
熊山町の歴史にも、永瀬清子の詩にも、欠かせない意味を持つ橋です。
周囲の山々は紅葉でしたが、霊山でもある熊山の威容は圧巻です。

この長い橋を渡りきったところに、小さな詩碑が立っていて、
清子の「熊山橋を渡る」という詩の一節が、石に刻まれていました。
冬の夜に越えた、「星まぶれの熊山橋」を詠んだものです。
この小さな訪問は、人生の新しい「出会い」ともなりました。
おなじ郷土と、天体への憧憬が、結んでくれた縁でしょうか。

地図を手に、清子の生家を訪ねながら、パンフレットを目にすると、
冒頭でご紹介した、「松」という詩の一部が載っていました。
生家近くの、松木公会堂(現公民館)を建てる時の様子を、詠んだものですが、
ひそかに驚いたのは、詩集のタイトルが、『美しい国』だったことです。

ある理由から、もうその名を、耳にするのも不愉快だという感覚は、
少しも不当ではありませんが、しかしここに、戦争の焦土から立ち上がり、
平和の国を目指した、新しい日本の理想の実現を、「美しい国」と呼び、
村の小さな公会堂を建てるために、伐り出されたばかりの、松の香に託して、
民主主義が育ってゆくようにと願いをこめた、ひとりの女性の魂が、
ひとつの詩があったことに、感慨を覚えずにはいられませんでした。

ふたたび駅に向かう足取りは、重かった。詩碑を写真に収め、
松木の集落を振り返ったあと、熊山橋を、今度は逆方向に渡りながら、
いまこの国は、かつてあなたが願った、その美しい名を騙る人物によって、
この川が逆流し、山脈を飲み込むような、天の星々が、極星の要を失って、
あちこちに彷徨い始めるような、とんでもないことが起こっているのですと、
女詩人の幻に向かって、語り掛けずにはいられませんでした。

しかし倉敷へ帰る電車のなかで、突然大きな疑問が、頭を打ちました。

清子はこの地の生まれでしたが、二歳のときに、父親の勤務先の金沢へ、
それから名古屋へと移り、結婚後は、夫とともに大阪や東京で暮らし、
終戦の年に、東京での罹災を避けて、岡山に疎開してきたのですが、
岡山もまた空襲に曝され、清子の家は辛うじて、焼失を免れました。
東京で罹災した永井荷風は、岡山に避難し、ふたたび焼け出されました。
当時6歳だった私の母は、夜明け前の空に、花火のようにきれいな
焼夷弾が降り注ぎ、岡山城の天守閣が、炎上する姿を見たのです。

東京では、新進の女流詩人として、当代一流の詩人たちとも交流を持ち、
宮沢賢治の追悼会に招かれて、賢治の弟が持参したトランクの中から、
「雨ニモマケズ」を記した手帳が発見された、その場にも立ち会った人です。

であればこそ、当然そこに・・・おそろしい疑問が、わきあがってくるのです。
この人も、もしかすると、いや、多分きっと、その詩をもって国策に、つまり
戦争に協力したのではないだろうか?そう考えるのは自然なことでした。


天寒く日は凍り
歳まさに暮れんとして
南京ここに陥落す。
あげよ我等の日章旗
人みな愁眉をひらくの時
わが戦勝を決定して
よろしく万歳を祝ふべし
よろしく万歳を叫ぶべし
(荻原朔太郎「南京陥落の日に」第二連)



1937年12月13日、日本軍は、中国の南京を占領しました。
戦勝祝賀集会が行われ、全国の街や村で、提灯行列が繰り出されました。
しかしその頃、南京では、多数の中国人が殺害されていたのです(南京虐殺)。

戦争の拡大にともない、国内では、戦時体制の強化が急がれました。
1938年には、国家総動員法が成立。国を挙げての総力戦には、
さらに国民の精神まで統制すべく、「国民精神総動員運動」によって、
日常生活までが、相互監視のもとに置かれましたが、不思議にも日本人は、
これに素直に従って、違反する者がいれば、「非国民、国賊」と罵りました。

文学者らも動員され、「ペンによる奉公」と称して、次々に大陸に赴き、
火野葦平による『麦と兵隊』などの、戦争文学も発表されるなか、
体制に批判的な言論は、徹底的に弾圧され、同人誌や個人誌に至るまで、
検閲され、発禁処分が相次ぎました。太平洋戦争開始の翌年には、
国策の宣伝と普及のための、「日本文学報国会」が結成されましたが、
やはり不思議にも、一度は執筆禁止の措置を受けた左翼も含めて
多くの文学者が、当たり前のように、これに参加しているのです。

そして皮肉にも、日本では、まだまだ俳句や短歌の陰にあった詩は、
国策による、愛国詩や戦争詩の普及によって、大衆化していきました。
詩などそれまでは、男性であっても、家族や身を省みぬ道楽者や、
無頼漢のする仕事だと、一般には見做されていたのです。

清子が寄稿していた、女性の文芸誌『輝ク』も、主催者の長谷川時雨が
積極的に協力の姿勢を見せていましたが、日本文学報国会が編集した、
戦争協力のアンソロジー、『辻詩集』(1943年)のなかには、
「夫妻」と題する清子の詩も、収められていました。


日本の妻はなげかない。
その時敵弾が彼をつらぬいたときいてさへ
なおその頬にはほほえみがのぼる。
よろこびいさんで彼が死に就いたことを、
彼女は疑ひ得ないから。
ああ、その幻がわらつてゐるのに
どうして彼女もほほえみ交さずにゐられやう。



言葉を失います。人の精神とは、ここまで脆く、
ここまで犯され、歪んでしまうものかと、思わずにはいられません。
これを、すでに過去のことだからと、小さく見ることは、私にはできません。

清子の詩はもともと、こんなおぞましい言葉の羅列とは、程遠いもので、
若さと瑞々しさのなかにも、宮沢賢治とは、また異なる方法で、
宇宙や歴史や生命や闇を、飲み込んでゆく、巨龍ような母性、
水に触れても感電するような、エネルギッシュな電磁気が魅力です。

しかし、そんなものは影も形も留めぬほど、無残な詩を書いた。
こんな詩に鼓舞された兵士たちは、その凄惨な死の瞬間にさえも、
自他に対して、心を偽らなければならない。「天皇陛下万歳」と。

だからこそ、さらに問いかけ、なおも追及しなければなりません。
永瀬清子は、詩人としての、自らの戦争協力、戦争責任に対して、
戦後には、いかなる態度を、言葉を持ったのかということをです。
それ如何では、「松」という詩も、ただのきれいごとになるからです。

戦中のジャーナリズムは、すすんで国策に協力し、
軍国主義の具と化し、「一億玉砕」を叫びたて、国民を煽りながら、
戦争に負けるや、手のひらを返して、民主主義の言論を展開しました。
日本人にとって終戦とは、なによりも窮乏や抑圧、戦火からの解放であって、
「天皇陛下」から「マッカーサー元帥」への衣替えは、なんでもないことでした。
戦争に協力した文学者のあり方に、厳しい眼が向けられるのは、当然です。

清子は、みずからも参加した、『辻詩集』について振り返り、

「最も正しいのは何も書かない事であったかもしれない。
 しかし私たちは詩人であり、何かを書くべく宿命づけられていた」
「明けると知れた夜なら迷うことはないが、
 自分は永久に抹殺されるかもしれなかった」


と述べていますが、これらの認識を、どのように受け止めればいいのか。
反省が甘いと突き放せるような、容易な話とは思われないのです。
そんな資格がないからではありません。後代の日本人には、資格どころか、
すすんで、「なぜあのとき、そうしたのだ」と、問い続ける義務があります。
「そういう時代だった」といった、決まり文句で済ませてはならないのです。

「何かを書くべく宿命づけられていた」とする言い訳が、私には理解できない。
宿命であればこそ、書いてはならぬものを書いではならなかった。
他に生きるすべがなかったとはいえ、戦争という癌細胞に犯された、
彼女の詩を救いうるのは、終戦と、棚ボタの民主主義ではないはずです。

しかし、「明けると知れた夜なら迷うことはないが・・・」という一文は、あまりにも重い。
これほどの危機感を、いま正しく感じている日本人が、どれだけいるでしょうか。
ここにあるのは、完全な絶望と恐怖なのです。

清子自身、非合法活動に身を投じた知人の荷物を、中味も知らぬまま預かっただけで、
治安維持法によって検挙され、5日間拘留されていた経験を持ちます。
国策に添った詩を書くにせよ、たった一語さえも、当局の気に入らなければ、
意向どおりに、書きなおさなければならないほど、完全な統制の下にあったのです。

打ち砕かれ、言葉を奪われた詩人。「明けない夜はない」と、安易に唱える現代人。
人間の暗部、自らの弱さに、正面から真剣に向き合っているのは、どちらでしょうか。

ただ分かりやすい謝罪や反省、自責の念の告白だけが、意味ある行いかと言えば、
必ずしもそうではない。それらは、保身や売名という場合もありうるのです。
ポーズさえしておけば許し許され、なんでも狂気の時代にせいにして済ます・・・
そうではなく肝心なのは、その後をどう生きぬき、どれだけ思想を深めたかでしょう。

ひとりの人間が、その人生において、人の力では如何ともしがたい、
時代の軛、戦争という巨悪に組み敷かれて、「抹殺」されかけたとき、
いかに無力で、無責任であったかを、苦渋のなかで自白する言葉は、
凡庸といえば凡庸ですが、人は何でも頑張りさえすれば、人の力でなんとかできる、
・・・そう考えるのは、人の驕りであると、告げられているように思えてなりません。

では早々に諦め、現実に屈して生きればいいのか。
それは違うのです。

都会での生活を棄て、熊山の片田舎で、農婦として再出発した
彼女の後半生が、そのことを物語っています。

永瀬清子が、「美しい国」に寄せた想いとは、どんなものだったのか・・・
どうかもう一度、「松」という詩を、読みかえしてみてください。

村の公会堂も、国会議事堂も、そこで行なわれる集会や議論も、
本来は、なんのためにあるのでしょうか?

(来週につづきます)

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